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国宝 鎌倉大仏(かまくらだいぶつ)は長谷(はせ)にある大異山高徳院清浄泉寺(だいいさんこうとくいんしょうじょうせんじ)にあります。「長谷の大仏さま」ともよばれています。 鎌倉の代表的な観光スポットになっていて,歴史をたずねるうえでもぜひおとずれたいところです。 また,近くには,長谷観音(はせかんのん)の長谷寺(はせでら),日牢(にちろう)の土牢の光則寺(こうそくじ)などがあります。合わせて歩かれるといいでしょう。 |
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<< アプローチ >> |
(1) 鎌倉駅 西口 〜 市役所通り 〜 長谷大谷戸 〜 大仏通り 〜 高徳院 ( 徒歩 およそ 1800m ) | ||||
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(2) 鎌倉駅 西口 〜 御成通り 〜 由比ヶ浜大通り 〜 大仏通り 〜 高徳院 ( 徒歩 およそ 2000m ) | ||||
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(3) 長谷駅 (江ノ島電鉄) 〜 大仏通り 〜 高徳院 ( 徒歩 およそ 500m ) | ||||
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(4) 路線バス 大仏前   (江ノ島電鉄バス,京浜急行バス) (JR鎌倉駅発,JR藤沢駅発,他) |
高徳院 (こうとくいん) 鎌倉 長谷 |
鎌倉 長谷 にある大異山高徳院清浄泉寺(だいいさんこうとくいんしょうじょうせんじ)は鎌倉大仏(かまくらだいぶつ)のあるお寺として知られています。 天平年間(729〜749)に創建されたと伝えらられていますが定かではありません。 寛元元年(1243)に木造大仏と大仏殿落成の供養が行われたといいます。建長4年(1495)に金銅大仏の鋳造が始められています。 明応4年(1495)の津波で本堂が流出して,大仏は露座になり,寺は廃寺同様になりましたが,正徳2年(1712)に再興されました。 仁王門には,再興されたときの仁王像があります。 |
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鎌倉大仏 ( かまくらだいぶつ ) ・ 長谷 (はせ )の 大仏さま 鎌倉 長谷 |
国宝 鎌倉大仏は,建長年間(1249〜1256)の製作と考えられています。 銅造で,像高11.5m。台座を含めると高さ13.35m。総重量121トン。 阿弥陀如来坐像です。 建造当初は,金箔を押して仕上げられ,壮大な大仏殿に安置されましたが,明応4年(1495)の津波で大仏殿は流失し,それ以後露座になりました。金箔も僅かに残っている部分がありますが,ほとんどはげ落ちなくなってしまいました。 また,大仏の周りには,大きな土台石が並んでいます。これは大仏殿の礎石といわれています。観光客がベンチがわりに腰掛けたりしていますが。 大仏殿の礎石は,何十本もあって,すべて抜かれてしまっているといいます。 大仏の周りにならんでいる礎石も,その位置で使われていたものではないということです。 |
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大仏は内部が空洞で,胎内に入ることができます。胎内に入ると鋳造の跡を見ることができます。 大仏の斜め後ろに,大仏胎内の入り口があります。 料金をはらって入ってみましょう。 |
観月堂 (かんげつどう) 鎌倉 高徳院 |
高徳院鎌倉大仏の背後の回廊の裏に回りこんでみてください。その先の樹木の間に静かに建つ観月堂を見ることができます。これは朝鮮の李氏王朝の月宮殿(げっきゅうでん)を移築したもので,朝鮮風の建物の様式を見ることのできる珍しいものです。 高徳院を再興した祐天(ゆうてん)上人を祀っています。 また観音堂として,徳川秀忠の持念仏聖観音が祀られていて,鎌倉三十三ヶ所札所となっています。 |
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与謝野晶子 (よさのあきこ) 歌碑 鎌倉 高徳院 |
観月堂の脇に,
明治時代から昭和時代にかけて活躍した歌人 与謝野晶子 の歌碑が建っています。
「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼(しゃかむに)は 美男におはす 夏木立かな」 |
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