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菅原道真(すがわらみちざね)公を主神と祀る天神社(天満宮)で、三大天神社の一つとされる古社です。
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府を開いたおり、大蔵御所(大蔵幕府)の鬼門の方角(北東)にあることから幕府の鬼門除けとされ、社殿が修復されたといいます。 |
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荏柄天神社 (えがらてんじんしゃ) 鎌倉 |
長治元年(1104)の創建と伝えられています。古くは荏柄天満宮と称し、太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)、北野天満宮(きたのてんまんぐう)と並ぶ日本三古天神の一つとされています。
平安時代中ころ、雷雨と共に天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬い、そこに神社を建てて祀ったのが始まりとされています。 主神は、菅原道真(すがわらみちざね)公です。他に熊野三柱神を祀ります。 |
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<<大蔵幕府の鬼門除け>>
源頼朝(みなもとのよりとも;鎌倉幕府をひらいた)が鎌倉に入り大蔵に幕府を開いたとき、大蔵御所の鬼門の方向(北東)にあることから、幕府の鬼門の鎮守とされたと云います。 そのおり、社殿が修復されたと云います。 |
荏柄天神社 二つ目の鳥居と石段 | 荏柄天神社 門から本殿を見る | 荏柄天神社 門から参道を見る | ||||
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<<荏柄天神社本殿(国指定重要文化財(建造物))・荏柄天神社境内(国指定史跡)>>
社殿奥に建つ本殿は、正和5年(1316)再建の鶴岡八幡宮若宮を、元和8年(1622)よりおこなわれた鶴岡八幡宮の造営に際し、移築されたものと考えられています。鎌倉に残る最古の木造建造物と考えられています。なお、社殿の増築、修復は幾度も行われています。 境内には、本殿、社務所、授与所、神輿庫などの建造物や、かっぱ筆塚、絵筆塚、熊野権現社(洞窟内に石の祠が安置されている)など、また門の東側には天神が降りたとされる位置に大銀杏の木(市の天然記念物:樹齢900年と推定される)があります。 |
本殿(左奥が鶴岡八幡宮から移設された部分) | 本殿(右側が鶴岡八幡宮から移設された部分) | 大銀杏 | ||||
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手水舎 奥に授与所・社務所 | 絵筆塚 | 荏柄天神社 (境内社)熊野権現社 | ||||
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<<参道>>
荏柄天神社の二つ目の鳥居が境内に上る石段近くにあります。近くには案内標識、荏柄天神社の石碑などもあります。天神社を訪れる観光者や参拝者の多くはここから来られています。 一つ目の鳥居は金沢街道沿いにあり、参道はそこから社殿まで一直線に続いていて300mほどもあります。この参道を訪れる人は稀です。 金沢街道沿いの鳥居傍らには、石塔・石仏が並べられていました。 |
荏柄天神社 金沢街道沿いの鳥居 | 金沢街道沿い鳥居傍の石塔・石仏 | 荏柄天神社 参道 | ||||
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