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瑞鹿山 円覚寺(ずいろくさん えんがくじ)は鎌倉五山の第二位の名刹です。 弘安5年(1282)8代執権北条時宗が2回の元寇(蒙古襲来)の戦死者供養のためと国土安泰を願い宋より招いた無学祖元を開山として創建しました。 創建当時は,中国の万寿寺を模し,七堂伽藍・塔頭42を数える大寺であったといいます。(今も大寺です) 境内は広く,見所も多くあります。2〜3時間ぐらいかけてゆっくり観て回るのがいいでしょう。 |
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白鷺池(びゃくろち) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
円覚寺総門と横須賀線の線路を挟んだ反対側に白鷺池といわれる2つの池があります。 この辺りはかつては円覚寺の境内でした。横須賀線の工事で池は小さくなりまわりの様子も変わってしまいました。 円覚寺の開山の無学祖元が鎌倉に来たとき鶴岡八幡宮のご神霊が白鷺となって道案内をしてこの池に降りたったという伝説が伝わっています。 |
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山門(さんもん) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
総門から木立の石段を上った所に「円覚興聖禅寺」の額を掲げる山門があります。二層構造の立派なものです。天明3年間(1783)に再建されました。 山門から奥に,仏殿,方丈が中央一直線に並んだ禅宗の伽藍配置になっています。 |
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仏殿 (ぶつでん) (鎌倉 円覚寺) |
大光明宝殿ともいい,昭和39年(1964)に再建されたものです。本尊は宝冠釈迦如来,左右に梵天,帝釈天が安置されています。 天井には前田青邨(まえだせいそん)画伯監修,守屋多々志揮毫(もりやただしきごう)による雲竜の図が描かれています。 |
仏殿 |
本尊 宝冠釈迦如来 |
雲竜 の図 | ||||
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方丈 (ほうじょう) ・ 勅使門 (ちょくしもん) ・ 百観音 (ひゃかんのん) (鎌倉 円覚寺) |
法堂跡を過ぎると勅使門があります。その脇を通り中に入ると,方丈,庫裡があり,その手前の庭には百観音と呼ばれる石仏群があります。これらの石仏は,もとは松嶺院内補陀落迦観自在窟にあったものです。 方丈の裏は,方丈庭園が広がっています。 |
勅使門 |
方丈 |
百観音 | ||||
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選仏場(せんぶつじょう) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
仏殿に向かって左手にある茅葺の小さな建物。元禄12年(1699)に建てられたものです。 選仏場とは座禅堂のことです。仏を選ぶところ,僧侶が悟りを開き仏になるところという意味です。 仏殿の西側の座禅堂を置くのは七堂伽藍の古い様式といいます。 |
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居士林(こじりん) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
選仏場の隣に居士林があります。 在家(一般の人)向けの座禅道場で,土日座禅会の表示が掲げられています。 現在の建物は,昭和3年東京牛込にあった柳生家の剣道場を柳生徹心居士寄進によって移築されたものです。 |
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妙香池(みょうこうち) と 仏牙舎利参道(ぶっがしゃりさんどう) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
居士林と仏殿の間の道を進みます。この道は仏牙舎利参道といい,仏牙舎利(お釈迦様の骨)を奉安した舎利殿に続いています。 ほどなく左手に妙香池という放生池を見ることができます。虎頭岩(ことうがん)という岩を配した池は夢窓疎石(むそうそせき)の作と伝えられています。亀が岩の上でよく甲羅干しをしているのを見かけます。 |
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舎利殿 (しゃりでん) 国宝-舎利殿 ( 鎌倉 円覚寺 ) |
源実朝(鎌倉3代将軍)が中国・宋の能仁寺(のうじんじ)から仏牙舎利(ぶっがしゃり)(お釈迦様の遺骨)を請来し大慈寺に安置しました。後に円覚寺に移されましたが,永禄6年(1563)の大火で円覚寺は全焼し,そこで天正元年(1573),太平寺(鎌倉尼五山の第一位 現在は廃寺)から移築した建物に仏牙舎利を奉安し舎利殿としました。この建物は室町時代初期のものとみられ,禅宗様式の大変美しいもので国宝に指定されています。
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舎利殿は塔頭の正続院(しょうぞくいん)内にあり,拝観はできません。門前よりご覧ください。(写真−上)
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仏日庵(ぶつにちあん) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
北条(本家)の廟所で,時宗,貞時,高時の遺骨を納めた石櫃が堂の下に埋められているといわれています。 庭には,茶室「烟足軒(えんそくけん)」があり,抹茶をいただきながら休息を取るのもいいでしょう。 |
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白鹿洞(びやくろくどう) ( 鎌倉 円覚寺 ) |
仏日庵の門前,道を挟んだところに「白鹿洞」といわれている小さな洞窟があります。 円覚寺の落慶開堂の日,無学祖元の説法が始まると白い鹿の一群が現れ話しに耳をかたけたと伝えられています。その鹿の一群はこの洞窟から現れたといいます。 円覚寺の山号の「瑞鹿山」はこの話を元に決まったと伝えられています。 |
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黄梅院 (おうばいいん) 夢窓疎石の塔所 ( 鎌倉 円覚寺 ) |
黄梅院は円覚寺がある谷の最も奥にある塔頭です。 北条時宗の夫人である覚山尼(かくざんに)が夫の菩提を弔うために華厳塔を建立したところ。後,分和3年(1354)足利氏が夢窓疎石の塔所をこの地に建て黄梅院を建立しました。 (覚山尼は東慶寺の開山です。) |
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境内には,観音堂があり聖観世音菩薩が祀られていています。
境内には様々な山野草が集められ美しい風情をつくり出しています。 |
洪鐘 (おおがね) と 弁天堂 (べんてんどう) 国宝 洪鐘 ( 鎌倉 円覚寺 ) |
山門右手の山に向かい木立の中を進むと,洪鐘・弁天堂へ上る急な石段があります。上りきると,国宝の洪鐘をつるす鐘楼があります。 洪鐘は正安3年(1301)執権北条貞時が命じ物部国光が鋳造しました。高さ259.5cm,口径142cm,で鎌倉で最大で国宝に指定されています。 鐘楼のすぐ前には弁天堂が建っています。 |
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洪鐘の鋳造は困難なもので,何度も失敗したといいます。そこで江ノ島の弁天様に加護を祈ったところ,弁天様の化身の竜神が鐘のご神体におさまり完成することができたといいます。 この霊験に感謝して弁天堂が建てられました。 |
円覚寺の 塔頭(たっちゅう) について |
円覚寺には多くの塔頭があります。 塔頭とは,大寺院の境内にある別寺・別坊をいい,僧侶の住居や修行の場となっています。本来は,禅宗のお寺で高僧が亡くなられたときその墓を塔所といい,その傍らの弟子たちが徳を偲び暮らした小坊のことをいいました。 円覚寺には往年42ヶ所,現在でも18ヶ所の塔頭があります。 円覚寺のほとんどの塔頭は拝観できません。仏日庵,黄梅院,松嶺院(牡丹の見ごろの頃)の3ヶ所のみ拝観することができます。 |
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