鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
     鎌倉  源氏山公園 から 葛原岡神社 周辺     
   源氏山公園 葛原ヶ岡 葛原岡神社 化粧坂 日野俊基の墓   
   
welcome
    


 源頼朝像 (源氏山公園) 
 
 源氏山は,源頼義,義家が後三年の役に出陣するさいに,この山に旗を立てたといわれていて「源氏山」とも「旗立て山」ともいわれています。
 源氏山公園は,この源氏山から葛原ヶ岡あたりの台地上に整備された公園です。
 周りは,鎌倉の見所が多くあり,ハイキングコースも整備されています。
 桜の咲くころも人気があり,天気の良い日を選んでハイキングがてら歩いてみてください。


     もどる     すすむ    鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ     


  扇ヶ谷 源氏山 周辺
 
 
  << アプローチ >>   
    JR鎌倉駅,JR北鎌倉駅より歩くコースが幾つかあります。
 自動車道は,梶原方面から公園まできていますが,駐車場はありません。公園内も一般車両は入れません。

 
   ○ 佐助ヶ谷 より ( JR鎌倉駅西口から )
  銭洗い弁天,佐助稲荷などを経由
 
   ○ 寿福寺境内 より ( JR鎌倉駅西口から )
  寿福寺境内の墓所,山に向かい左側の山ぷくに上り口があります。
 
   ○ 扇ヶ谷 より ( JR鎌倉駅西口から )
  扇ヶ谷を海蔵寺に向かい,その手前に化粧坂への分岐があります。
  化粧坂を上り,源氏山公園に至ります。
 
   ○ 大仏坂ハイキングコース より ( 長谷,極楽寺周辺より )
  長谷通りから大仏坂トンネルの手前右側にある急な石段を上ると大仏坂ハイキングコースになります。
  極楽寺からは,稲村ガ崎小学校の角を右に入った谷をたどれば,大仏坂トンネルの上を通り,大仏坂ハイキングコースに出ます。
 
   ○ 葛原ヶ岡ハイキングコース より ( JR北鎌倉駅より )
  浄智寺の山門前の道をそのまま山方向へ上っていきます。
 





 源氏山(げんじやま) と 源氏山公園(げんじやまこうえん)     後三年役の旗立て山   
    
 源氏山公園は,源氏山から葛原ヶ岡あたりの台地上に整備された公園です。
 源氏山は,源頼義,義家が後三年の役に出陣するさいに,この山に旗を立てたといわれていて「源氏山」とも「旗立て山」ともいわれています。
 源氏山近くは,鎌倉市内の眺望があり,相模湾も臨むことができます。
 公園内は,大小の広場もあり,桜の名所にもなっています。源頼朝像がある広場は広く芝生でのんびり時間を過ごすのによいでしょう。

    
源氏山公園 源頼朝像  ( 拡大 写真 )  
 


 化粧坂(けわいざか) から 源氏山公園(げんじやまこうえん) へ    化粧坂 切通し を歩く  
    
 化粧坂切通しは鎌倉七切通し(鎌倉七つ口)の一つで,鎌倉期の武蔵大路と推定されています。
 重要な交通の要所で,戦場にもなりました。
 新田義貞の鎌倉攻めの時は主力部隊がここを攻めました。しかし,幕府軍の堅い守りを破れず,新田義貞は極楽寺坂切通しに移り,稲村ガ崎の海岸を引き潮に乗じて進軍したといいます。

 化粧坂という名まえの由来にはいくつかの説があります。
 ・木がうっそうと茂っていたので,「木生え(きはえ)坂」とよばれたのがもと。
 ・扇ヶ谷に遊女がいた。
 ・葛原岡に刑場があり,首実験のおり死化粧をした。
 ・歌舞伎「寿曹我対面(ことぶきそがのたいめん)」で,化粧坂ノ少将(女性)と十郎の恋物語があり,この女性の名がもと。  など。

 扇ヶ谷からは,住宅地の中を進み,その途切れたところから短い距離ですが急なつづら折の山道を上ります。この辺りが化粧坂です。上りきった鞍部状の所から左に僅かに上ると源頼朝像がある源氏山公園,右に進むと葛原ヶ岡です。
    
化粧坂  ( 拡大 写真 )  
 

 日野俊基(ひのとしもと) の墓 と 葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)     葛原ヶ岡(くずはらがおか) を歩く  
    
 葛原ヶ岡は鎌倉期に刑場があったところです。
 日野俊基は後醍醐天皇の側近で,山伏姿で諸国を周り,幕府打倒の準備をしたといいます。しかし計画が事前に発覚した正中の変(しょうちゅうのへん)で捕らえられてしまいました。一度は許されますが,再び捕らえられこの地で処刑されました。
 葛原岡神社は明治になって創建されました。日野俊基を祀っています。
    
日野俊基の墓  ( 拡大 写真 )  
 


     もどる     すすむ    鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ   このページの 上へ