鎌倉 (旧鎌倉郡) の昔を訪ねて    
    鎌倉  長谷観音  (海光山 長谷寺)   と  行時山 光則寺     
    長谷 ・ 弁天窟 ・ 十一面観音立像 ・ 日朗の土牢    
    
welcome
    


長谷寺 参道 
 

 海光山 長谷寺(はせでら)は,長谷観音(はせかんのん)とも呼ばれる高さ9.18mの木製の十一面観音立像をまつることで知られています。
 境内からは由比ヶ浜を一望でき,眺望の良いお寺としても人気があります。
 また,すぐ近くに日牢(にちろう)の土牢で知られている光則寺(こうそくじ)がありますので合わせて紹介します。
 また,鎌倉大仏や極楽寺坂方面の史跡も近くにありますので,合わせて歩かれるといいでしょう。

     もどる     すすむ    鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ     


  鎌倉 長谷 周辺
 
 
 
<< アプローチ >> 
 

(1)      鎌倉駅 西口 〜  御成通り  〜  由比ヶ浜大通り  〜  長谷寺参道  〜  長谷寺   ( 徒歩 およそ 1800m )  
 
      趣のあるお店が多くある道を行きます。途中には点在する史跡,風情のある小路もあります。それを訪ねまた見ながら歩くのがいいでしょう。

 
(2)      長谷駅 (江ノ島電鉄) 〜  長谷通り・大仏通り  〜  長谷寺参道  〜  長谷寺    ( 徒歩 およそ 300m )  
 
      賑やかで,お土産店や趣のあるお店が多くある道です。

 
(2)      路線バス 長谷観音前   (江ノ島電鉄バス,京浜急行バス)  (JR鎌倉駅発,JR藤沢駅発,他)  〜  長谷寺参道  〜  長谷寺   
 
    
 
    
 



 長谷寺 参道 と 旅館 對僊閣(たいせんかく)    長谷通り・大仏通りから長谷寺へ    
    
 長谷通り(江ノ電 長谷駅から大仏前への道,大仏前付近は大仏通りとも呼ばれる)から,長谷寺に向かう参道に入ります。奥に長谷寺の総門が見えます。
 道の両側にはお土産や食事処の店が並び賑やかです。古い趣のある建物もいくつもあります。その中でも目を引くのが,参道に入ってすぐ左にある 旅館 對僊閣です。明治末期よりここで旅館業を営んでいて,「鎌倉市景観重要建築物等」に指定されていて歴史的にも貴重な建物です。現在も営業していて,内部の一般公開はされていません。


    
 海光山 長谷寺 (かいこうさん はせでら) と 長谷観音 (はせかんのん)        
    
 海光山 長谷寺は,大和の長谷寺本尊と同じ木から掘り出された観音像を祀っています。
 養老年間(717〜723)徳道上人は大和国(奈良)初瀬に霊木を見つけ,一本の木から2体の観音像(十二面観音立像)を彫りました。そのうちの1体を奈良初瀬の長谷寺のご本尊とし,もう1体を縁のある地で衆生を救うようにと伊勢の海から流されました。  そして十年あまり,三浦の長井の浜に流れ着きました。そして天平8年(736)建立されたのが新長谷寺だといいます。
 江戸期には坂東三十三ヶ所の四番札所となり,門前町も栄えました。現在は,鎌倉三十三ヶ所札所にもなっています。


    
< 総門〜観音堂へ  >
 総門脇の入り口で拝観料を払って入ると,手入れの行き届いたお庭を右手に放生池を見て,観音堂に向かいましょう。階段を上った一段高くなったところに,真新しいコンクリートでできた観音堂があります。
 観音堂には,長谷観音(はせかんのん)とも長谷の観音さまとも呼ばれる高さ9.18mの木製の十一面観音立像が安置されています。
< 阿弥陀堂と厄除け阿弥陀  >
 観音堂の右手には,阿弥陀堂(あみだどう)があり,高さ2.8mの阿弥陀如来坐像が安置されています。頼朝が厄除けのために建立した誓願寺に安置されていたが元禄年間(1688〜1704)に長谷寺に移されたといいます。
< 鐘楼・梵鐘  >
 そのさらに右手には,鐘楼・梵鐘があります。  昭和期末に梵鐘が新造され,それまでのものは宝物館に置かれています。それは,文永元年(1264)銘,鋳工物部李重が造ったもので,鎌倉では常楽寺の鐘,建長寺の鐘についで古いものです。
< 宝物館  >
 観音堂の左側には棟続きで宝物館があります。貴重な資料が展示されています。
< 輪蔵(まわり堂)  >
 観音堂の左手にさらにすすむと輪蔵があります。蔵内には一切経が納めてあり,時計方向に一回まわすと一切経を一通り読んだのと同じ功徳があるといわれています。

< 裏山の散策路  >
 輪蔵の裏辺りから裏山の散策路へ辿ることができます。路筋には幾種ものアジサイが植えられていてます。また,長谷の町並みや由比ヶ浜が見渡せる眺めの良い路です。

< 弁天窟  >
 放生池まで戻りましょう。そこから左手(北方向)に進むと山肌に小さな洞窟が空いていて小さな鳥居が建っているのを見ることができます。そこが弁天窟に入り口です。内部の洞窟の壁にはいくつもの石仏が刻んであります。

    



旅館 對僊閣
長谷寺 総門 
長谷寺 放生池   
 
 拡大写真   拡大写真   拡大写真   
 
     
   
 
     
長谷寺 観音堂  長谷寺境内から 由比ヶ浜を望む 弁天窟 内  
 
 拡大写真   拡大写真   拡大写真   
 
     



 光則寺 へ      長谷寺から光則寺へ    
    
 長谷寺から,来たときの参道を戻ります。長谷通りに出る少し手間,對僊閣を過ぎた辺りの左手の路へ入ります。すぐに十字路になりますので,そこをまた左に進みます。正面の坂の上に光則寺の山門が見えてきます。

    
 行時山 光則寺 (ぎょうじさん こうそくじ) と 日朗(にちろう)の土牢         
    
 行時山光則寺は,梅林と海棠の古木で知られています。花の時期に訪れるのがいいでしょう。

 文永8年(1271),日蓮が龍ノ口で処刑されそうになったとき,日朗たち弟子たちも捕らえられ,執権 北条時頼の近臣 宿屋光則(やどやみつのり)の屋敷の裏山にある土牢に幽閉されました。
 後に,光則は助かった日蓮に帰依し,屋敷は寺となりました。そして寺名を自分の名前から光則(こうそく),山号を父 行時(ゆきとき)の名から行時山(ぎょうじさん)としました。


    
< 日牢の土牢  >
 本堂の右手から,裏山へ。石段を上ると日朗が幽閉されていたという土牢があります。


    



光則寺 山門
光則寺 本殿 
日朗上人 の 土牢  
 
 拡大写真   拡大写真   拡大写真   
 
     
   
 
     
     もどる     すすむ    鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ   このページの 上へ