泉区の昔 さんぽ   
   ほしのや道 と 大石堂道 に沿って   
  ( 大石堂道 神奈川道 宮沢六道の辻 中丸家長屋門 横山家長屋門 柳明神社 )  
    
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  横浜市泉区には,  坂東33ヶ所札所めぐり の順礼の道が通っていました。
 横浜の
 弘明寺観音 と座間の  ほしのや観音 をむすぶ道です。
 弘明寺方面からは,”弘明寺道”を東海道の権田坂まで来て,そこから,”東海道”を柏尾まで来て,そこから”柏尾通り大山道”を岡津橋までたどり,そこから”ほしのや道”をたどり,瀬谷方面に抜け,”ほしのや”をめざします。
 現存する道標に”ほしのや道”という記が残っているので,ここでは,この道を”ほしのや道”と呼ぶことにします。
(  道標にある ”〜〜道”というのは,方向を示しているので,道の固有の名前を示しているわけではないので,誤解されないようにしてください。つまり,弘明寺方面に向かう人にとっては,この道は”弘明寺道”となるわけです。 )

 また,泉区には,鎌倉郡33ヶ所札所もありました。ほしのや道は,そのうちの1つの”大石堂寺”への道ともかさなっていました。
 現在の,松陽高校前の道標から,”大石堂寺”跡(現 柳明神社)までの道を,「大石堂道」と呼ぶことにします。

 ここでは,”ほしのや道”の泉区部分と,”大石堂道”とその周辺にある歴史的な文化財を紹介します。
 (”坂東33ヶ所札所めぐり”,”鎌倉郡33ヶ所札所めぐり”とは,直接関係ないものもふくんでいます。)



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 ほしのや道 横浜市泉区 部分  
 
   





 岡津橋  ( 地図 @ )
   
 ”ほしのや道”は岡津橋バス停近くの不動橋の辺りで,”柏尾通り大山道”から分岐していました。
 ”永明寺別院”の門前に大山道の道標があり「右 ほしのや道」とあります。
 詳しくは,「柏尾通り大山道」のページ,「岡津橋付近」のページを参照してください。共に,この1つ上のページからたどってください。
      

庚申塔(道標)     下新橋付近    ( 地図 A )
    
 県道(瀬谷・柏尾線)の”藍や(レストラン)”がある交差点から,数十メートルほど入った阿久和ホームのわきの道路わきにあります。
 左面に「八王子 ほしのや 道」, 右面に「とつか かまくら 道」とあるらしいのですが,右面はかなりよみづらくなっています。

高さ 90cm ほど
 
      

観音寺  と  中丸家 長屋門    新橋付近    ( 地図 B )
    
 ”ほしのや道”は,阿久和川にかかる新橋付近で現在の県道の瀬谷柏尾線と分岐します。
 新橋から県道がわには,阿久和川の左岸には立派な”中丸家長屋門”があります。(写真 -- 右)
 県道をもう少し行くと,鎌倉郡33ヶ所札所の1つ,観音寺があります。
    

 

道祖神     新橋付近    ( 地図 C )
    
 県道から分かれて,数十mほどのところをさらに左に入ると,”ぴぐれっと”という地域作業所があります。その脇の山の端のところに道祖神があります。(写真 -- 右)
 左の”道祖神”は,台座をふくめて,高さ 47cm ほど
 中の ”双体道祖神”は 高さ 41cm ほどです。
 どちらにも,天保十一年 とあります。
      

 横山家 長屋門    新橋付近    ( 地図 D )
    
 道が右に急カーブするあたりから坂は急な上りになります。その手前で,左に”横山家長屋門”が見えます。(写真 -- 右)
 この辺りは”順礼坂”と呼ばれています。順礼の哀話が伝えられているということです。

 順礼坂の,いわれについての話は,以下のページに紹介されています。
    

 

 道標 庚申塔  (大石堂道)    松陽高校 前   ( 地図 E )
    
 松陽高校の前の道路の向かいがわに,道標(庚申塔)延享三年(1746)と馬頭観音があります。
 ここで,”ほしのや道”は道標わきから狭いほうの右に入る道をたどることになります。
 道標の庚申塔には,「右ハほしのやみち」「左ハ大石堂道」とあります。現在は,下部から破損が進んで,下の方の文字はくずれてしまい,もう読めません。
 左の道は,鎌倉郡33ヶ所札所の”大石堂寺”へ向かっていました。
 ”大石堂寺”は明治の初めに廃寺になり,現在は,跡地に”柳明神社”があります。

 左の”庚申塔”は,台座をふくめて,高さ 104cm ほど
 右の ”馬頭観音”は台座を含めて 高さ 64cm ほどです。
 (どちらも,新しいコンクリートの台座の上に,古い石の台座が乗っています。コンクリートの部分は高さにふくめていません)
  
    

 

 六地蔵     柳明 付近   ( 地図 F )
    
 松陽高校からの道をたどり,新幹線のガードをくぐると,左から三家からの道が合流してきます。六地蔵は,そちらの道沿いにあります。
 新幹線のガード下付近にあり,近くには,道祖神も在ったらしいです。
    

 

 道標(庚申塔)   (神奈川道)    柳明 バス停 付近  ( 地図 G )
    
 柳明バス停前に,道標(庚申塔)があります。
 破損が進んでいて,記されている文字は,ほとんど読み取ることができません。
 ここで,”ほしのや道”は,東方向からの古道の”神奈川道”と合流していました。
 広い道路を渡ると,その北側に小さな橋があります。それを渡り,道は雑木林の中を上っていきます。
 道はそのすぐ先で二方向に分かれます。”ほしのや道”が通っていたのは,右の急坂を上る道です。正面のゆるい上りの道は,”神奈川道”です。
 2つの道は,すぐに分岐していました。
      

 宮沢 六道の辻    柳明 付近 (瀬谷区)  ( 地図 H )
    
   柳明からの急坂を上ると,畑の広がった台地に出ます。ここに”六道の辻”と呼ばれるところです。
 六本の道が交差しています。

 六道とは,仏教でいう,”地獄”,”餓鬼”,”畜生”,”修羅”,”人間”,”天上”のことで,”六道の辻”はその分かれ道ということです。
 地蔵菩薩が,その道を示されるといわれます。

 地蔵菩薩の坐像と,道標があります。
 手前が”弘明寺道”,左から”藤沢道”となっています。
 ”藤沢道”は,江戸時代に開墾された宮沢村と藤沢方面をつなぐ道です。藤沢方面に行くと,先ほど別れた”神奈川道”と合流します。
 藤沢道を,宮沢方面に行くと,”中村の辻”があり,ここにも,石造物が保存されています。

   

    
      


 柳明神社 (大石堂寺 跡)       松並  付近  ( 地図 I )
    
 「大石堂寺」は鎌倉郡33ヶ所の24番札所で,明治の初めに廃寺になりました。
 その跡地に,日向山にあった「お伊勢宮」が移され,「柳明神社」となり,現在に至っています。
 神社の境内には,「大石堂寺」の本尊であった,「十一面観音菩薩」が祀られているお堂や六地蔵があります。

 「十一面観音菩薩」は,「大石堂寺」が廃寺になったとき,一時,観音寺に預けられましたが,この地に戻されました。
 それにまつわる,話が伝承されています。下のページで紹介されています。

 また,柳明神社には,「柳明囃子」というお囃子が伝わっています。下のページで紹介されています。
      





  <<  関連ありそうな ・・・ ?  ページの紹介  >> 
    
 泉区役所の”泉区の民話”のページ : 「順礼坂のいわれのはなし」,「大石堂寺の十一面観音菩薩にまつわるはなし」が紹介されています。
    
       http://www.city.yokohama.jp/me/izumi/suishin/minwa.html
 



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