鎌倉 (旧鎌倉郡) の昔を訪ねて    
    鎌倉   鎌倉宮   から  覚園寺 ・ 瑞泉寺    
     大塔宮(鎌倉宮)   覚園寺   瑞泉寺  理智光寺跡   永福寺跡     
    
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大塔宮(鎌倉宮)
 

 二階堂川に沿って谷を奥に向かうお宮通りは,大塔宮(だいとうのみや){鎌倉宮(かまくらぐう)}へ向かう道です。
 さらに二階堂川を奥に進むと,かつての大寺の跡,理智光寺跡,永福寺跡があります。さらに奥に向かい,紅葉ヶ谷には夢窓疎石がつくったといわれる庭園を持つ瑞泉寺があります。
 また,鎌倉宮から薬師ヶ谷の奥へ進むと立派な薬師堂を持つ覚園寺があります。

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  鎌倉宮 (大塔宮) 周辺
 
 
 
<< アプローチ >> 
 

     鶴岡八幡宮 東鳥居 ・  畠山重忠 邸跡  〜   荏柄天神社 ( お宮通り ) ( およそ 700m )  
     荏柄天神社 〜 ( お宮通り ) 〜 大塔宮 ( 鎌倉宮 ) ( およそ 200m )  
     大塔宮 ( 鎌倉宮 )  〜  覚園寺  ( およそ 600m )  
     大塔宮 ( 鎌倉宮 )  〜  理智光寺跡  ( およそ 300m )  
     理智光寺跡  〜  永福寺跡  ( およそ 200m )  
     永福寺跡  〜  瑞泉寺 総門  ( およそ 300m )  
     瑞泉寺 総門  〜  瑞泉寺 本殿  ( およそ 300m )  
    
 



 大塔宮(だいとうのみや) ・ 鎌倉宮(かまくらぐう)      ( 鎌倉 二階堂 )    
    
 鶴岡八幡宮から東方向に進み,大蔵幕府跡を過ぎ,絵柄天神社の鳥居前まで来ます。ここでお宮通りに出て,左方向を見ると正面に大塔宮(鎌倉宮)の鳥居が見えます。
 大塔宮は明治時代(明治2年)になって明治天皇の勅令によって創建された新しい神社です。大塔宮護良親王(もりながしんのう)を祀っています。
 この辺りは,東光寺というお寺があった跡で,鎌倉時代末に後醍醐天皇の皇子・護良親王が土牢に幽閉され,その後殺害されたとされている所です。
 護良親王は鎌倉幕府を倒すため兵を率いて北條軍と戦いましたが,捕らえられ東光寺の土牢に幽閉されたといいます。  大塔宮の境内には今もその土牢が残っています。
    
鎌倉宮 拝殿
 

覚園寺  (かくおんじ)   薬師ケ谷を覚園寺へ向かう         
    
 鎌倉幕府2代執権の北条義時が建てた薬師堂がはじまりで,後の執権北条貞時のときに鷲峰山(じゅぶさん) 覚園寺として開山したとされています。
 鎌倉幕府の3代将軍の実朝が鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に襲われ命を落としたとき,義時は剣捧持の役をすることになっていましたが,白犬が横切る幻覚を見て,役を代わってもらい難を逃れることができたといいます。
 白犬は薬師如来の使いであるといわれていたので,義時は薬師堂を建てて篤く信仰したといいます。

 大塔宮から薬師ケ谷の路を進むと鷲峰山(じゅぶさん) 覚園寺があります。
 石段を上がり山門をくぐると,よく手入れがされたお庭に愛染明王と鉄製の不動明王坐像が安置されている愛染堂があります。
 左手の宝篋印塔は,関東形式の宝篋印塔の中で最も大きいといわれるものです。
 境内は広く谷の奥まで続いているのですが,これより先は,自由に入ることはできません。また,撮影禁止となっています。
 境内奥へは住職さんの案内に従って入ることができます。拝観時間に合わせて集まり拝観料を払い住職さんに続きましょう。拝観所要時間は1時間弱あまり,境内の中の要所ごとにわかり易く丁寧な解説をしていただけます。
 拝l観時間は10:00, 11:00, 13:00, 14:00, 15:00 で 日・祝日は 12:00 が加わります。
    
 覚園寺
( 拡大 写真 ) 
 
< 薬師堂  >
 住職さんのあとにについて愛染堂の左側から境内奥に進むと,まず本堂である薬師堂に案内されます。薬師堂は谷の山並みを背景にしたかやぶきの古い建物で,足利尊氏によって再興されたものといわれています。中にある薬師如来像は大きな宋風の立派な仏像で運慶の作と伝えられています。  薬師三尊の手前の両側の壁には等身大の十二神将がならんでいます。正面右にある阿弥陀如来像は「鞘阿弥陀」(さやあみだ)と呼ばれていて,廃寺になった理智光寺に祀られていた客仏です。
 建物も,安置されている仏像もどれも貴重で価値の高いものです。

< 旧 内海家宅  >
 江戸時代の庄屋の家屋を移築してきたものです。
 説法などが行われ,講堂のような使われ方をしていたようです。

< やぐら  >
 境内にはやぐらが多く点在しています。やぐらとは山複に横穴をほって墳墓としたものといわれていますが,大きなものは修行のためなどに使われたと考えられています。そういった大きなやぐらを見ることができます。
 十三仏やぐら,百八やぐら,わめき十王窟,朱たるきやぐら,法王窟,地蔵やぐら,梵字窟,はこの窟,五輪窟など名前のついたやぐらが在ります。

< 地蔵堂(じぞうどう)・黒地蔵  >
 地蔵堂には黒地蔵さまと呼ばれる重文の地蔵像が安置されています。 「この地蔵,地獄をまわり,罪人の苦しみを見てたえかね,自ら獄卒にかわり自らの身を火に焼く,いくど彩色をしても一夜にして黒くなる」と言われています。


    
 理智光寺跡 (りちこうじあと)   護良親王(もりながしんのう)の墓     
    
 大塔宮から二階堂川を渡り,谷の奥に向かう路を進むと,正面の山に百数十段もある石段が見えてきます。この石段を上ったところには護良親王(もりながしんのう)のお墓があります。
 石段の手前の道端には理智光寺跡の碑が建っています。  この辺りは,廃寺になった理智光寺があったとされている所です。

 護良親王は東光寺(今は大塔宮があるあたり)の土牢の幽閉されていましたが,足利直義の命で殺害され,首は辺りの藪の中に埋められたといいます。それを理智光寺の僧が見つけ,清めて理智光寺の背後の山に埋葬したといいます。

 理智光寺には「鞘阿弥陀」(さやあみだ)と呼ばれる美しい阿弥陀如来像がありました。今は覚園寺の薬師堂の奥右側に客仏として安置されています。
    

 
理智光寺跡 
理智光寺跡 の碑 
護良親王の墓   
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 永福寺跡 (ようふくじあと)     頼朝が創建した大寺の跡      
    
   二階堂大路を大塔宮からさらに谷の奥に進むと,左手に国大のテニスコートが見えてきます。道端には「永福寺跡の碑」と解説板が並んであります。この辺りに永福寺はありました。

 欧州征伐に行った頼朝が,平泉中尊寺の二階大堂をみて,義経や藤原泰衡らの冥福を祈るために創建したといいます。
 
永福寺 跡
 
 
永福寺 跡  ( 拡大 写真 )
 
    浄土庭園に本堂の二階堂,阿弥陀堂,薬師堂の三堂を中心に多宝塔,三重塔,鐘楼を配する伽藍があり,宇治の平等院のようであったといいます。
 

 瑞泉寺 (ずいせんじ)   夢窓疎石(むそうそせき)が造った池水式庭園で知られている     
    
 二階堂川から紅葉ヶ谷(もみじがやつ)に入り奥に進むと,金屏山 瑞泉寺 (きんぺいさん ずいせんじ)があります。
 坂道を登っていくとまず,瑞泉寺総門に着きます。この総門の右側には植政造園があります。その敷地内には,昔,瑞泉寺の塔頭の一つ永安寺がありました。永安寺は,永享の乱で鎌倉公方の足利持氏が将軍 足利義教の軍に攻められ自害したところといわれています。
 総門からさらに進み,拝観料を払い境内の長い石段の坂を登っていくと,山門,さらに本殿,客殿,庫裏があります。その裏に夢窓疎石(むそうそせき)が造った池水式庭園,天女窟があります。
    

 
瑞泉寺 総門
瑞泉寺 本殿 
瑞泉寺 池水式庭園   
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