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鎌倉七切通しの一つ 亀ヶ谷坂切通し(かめがやつざかきりどおし )とその周辺を歩くコース。 歴史を偲ばせる切通し。谷(やつ)に点在する静かなお寺と山並みを背景にしたすてきなお庭。谷に沿った小路と家並みと。鎌倉らしさ,鎌倉のよさを堪能できるお勧めコースです。 |
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○ 北鎌倉駅 〜 長寿寺 ( 約 800m ) | ||
○ 長寿寺 〜 亀ヶ谷坂切通し ( 約 250m ) | ||
○ 亀ヶ谷坂切通し 〜 薬王寺 ( 約 300m ) | ||
○ 薬王寺 〜 岩船地蔵堂 ( 約 100m ) | ||
○ 岩船地蔵堂 〜 浄光明寺 ( 約 350m ) | ||
○ 浄光明寺 〜 岩窟不動尊 ( 約 400m ) | ||
○ 岩窟不動尊 〜 鉄の井 (小町通り) ( 約 200m ) | ||
○ 鉄の井 (小町通り) 〜 鶴岡八幡宮 ( 約 100m ) |
宝亀山 長寿寺 (ほうきざん ちょうじゅじ) 北鎌倉駅から長寿寺へ |
北鎌倉駅の下り線ホーム側に臨時改札口が開いている時は,こちらから出るのが便利です。 横須賀線の線路に沿った道を鎌倉駅方面うと,すぐに交通量の多い鎌倉街道に出ます。この道は巨福呂坂を経て鎌倉の中心部へ向かう道です。道の両側には食事処やお土産屋もあり,鎌倉らしい趣があるのですが,車の交通が多いのに閉口します。 緩やかな上り坂を進むとやがて道の向こうに建長寺が見えてきます。この辺り右側に長寿寺があります。 |
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長寿寺は臨済宗のお寺です。境内の裏山には足利尊氏のお墓の五輪塔があり,遺髪が埋葬されているといいます。 非公開のお寺です。山門まで石段を登り境内の様子を見て見ましょう。 山門はかやぶきで,古を感じることができるでしょう。 |
亀ヶ谷坂切通し (かめがやつざか きりどおし) 長寿寺から扇ヶ谷へ |
長寿寺の山門に向かって左側に山に向かって上っていく坂道があります。これが亀ヶ谷坂切通しへ向かう道です。 標識があるので迷うことはないでしょう。また「二輪・軽車両を除く『通行止め』」の標識があります。 坂道を行くとやがてに両側に崖が迫ってきます。見ると人工的に山を切り削られているのが分かると思います。 ”切通し”といわれる道です。 鎌倉は山に囲まれているのでこのような”切通し”を通って行き来することになります。 ”切通し”は中世の鎌倉の重要な交通路であり,鎌倉防衛の要となっていました。 亀ヶ谷坂 切通しは鎌倉七切通しといわれるうちの一つです。 |
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坂道が下りになる少し手前の右の岩壁に小さなお地蔵様があります。 峠の頂上を過ぎると,急な下り坂になります。「亀が,あまりの急坂に引き返した。」という言い伝えもあります。また「亀返しの坂」とも言われています。 |
大乗山 薬王寺 (やくおうじ) 亀ヶ谷坂切通しから薬王寺 へ |
亀ガ谷坂切通しからの下り坂が緩やかになって周りの景色もだいぶ里らしくなってくると,右手から交差してくる道の奥に薬王寺が見えます。 薬王寺は,江戸期の寛政年間に建立された日蓮宗のお寺です。 |
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境内には徳川忠長の供養塔があります。 駿河大納言 徳川忠長は,徳川家3代将軍家光の弟で,家光に高崎に幽閉させられ所領を没収された後,自刃させられました。 |
岩船地蔵堂 (いわふねじぞうどう) 薬王寺から岩船地蔵堂 へ |
源頼朝の娘大姫(おおひめ)を供養する地蔵堂と言い伝えられています。 木曾義仲が頼朝の命によって京で討たれたとき,頼朝は家臣に義仲の子義高(木曾義仲の嫡子で,鎌倉に人質として送られてきていた。大姫の許婚)も殺害するように命じました。 それを知った大姫は,義高に女装をさせ鎌倉から逃がしました。しかし,義高は追いつかれ殺害されました。 大姫は,悲しみ,やがて病気になって死んでしまいました。 その大姫を多くの人々が哀れみこの地に供養したといいます。 |
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泉谷山 浄光明寺 (じょうこうみょうじ) 岩船地蔵堂から浄光明寺 へ |
岩船地蔵堂から扇川沿いに左方向に進みます。すぐにまた左に曲がり山の方向に進みます。この道も左に水の流れがあります。この流れは,鎌倉十井の一つ「泉の井」まで辿ることができます。 この辺りの道は,かまくら山並みを背景にした谷(やつ)の雰囲気が味わえます。 100〜mほどで左からの道の奥に浄光明寺の山門を見ることができるでしょう。 |
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浄光明寺は山並みを背景にしたお庭がきれいなお寺です。 本殿は,右手の不動堂と客殿の間の奥にあります。 拝観は木・土・日・祝日となっていますが,お庭には,その他の日でも入れます。 |
岩屋堂 ・ 巌窟堂 ・ 窟堂 etc (いわやどう ・ まやどう etc) 浄光明寺から小町通り へ |
浄光明寺からは,もと来た道を戻り,扇川沿の道に出る僅か手前を左に曲がります。すると「扇ヶ谷上杉管領屋敷跡」の石碑を見ることができます。すぐに扇川沿の道と合流し踏み切りにぶつかります。踏切を渡らずになおせまくなった道を進むと,扇ヶ谷踏み切りの前で「いわやみち」と呼ばれている道に出ます。ここを左に進むと左に岩屋堂を見ることができます。
岩屋堂は吾妻鏡にも記載があり,古くからあったことが分かります。奥の岩窟にお堂があり不動明王が祀られています。 道に面した入り口には,「窟堂(いわやどう)」とあり,「岩窟不動尊」と書かれたちょうちんが架けられています。 また,「不動茶屋」の看板もあり,甘味と和風ラーメンの店になっています。 お参りがてら,休憩するのもいいかもしれません。 「いわやみち」をさらに進むと「小町通り」にでます。 小町通りに出たところに「鉄の井」があります |
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鉄の井 (くろがねのい ) 小町通りから鶴岡八幡宮 へ |
小町通りには鎌倉十井(かまくらじゅせい)のうちの一つ「鉄の井」があります。 正嘉2年(1258)の大火で,扇ヶ谷に在った新清水寺が焼失し,寺の所蔵していた鉄製の観音像が紛失しました。その首の部分がこの井戸から見つかったためこの名前がついたといいます。 その後,鉄の井の西側に観音堂が建てられ安置されていましたが,明治の初めに,お堂は壊され,観音像は東京に移されました。そして,今も人形町の大観音寺のご本尊として安置されています。 左手には鶴岡八幡宮の境内が見えます。右に進めば,賑やかな小町通りが鎌倉駅まで続いています。 |
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