鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて
小動神社
と
浄泉寺
鎌倉 腰越
腰越 小動岬 小動の松 佐々木盛綱 新田義貞
izumi-loc.com
welcome
片瀬腰越の浜と七里ヶ浜を分けるように小動岬(こゆるぎみさき)があります。
小動岬にある小動神社(こゆるぎじんじゃ)は、もとは八王子宮といい浄泉寺(じょうせんじ)に属していました。明治の初めの神仏分離で小動神社になりました。
もどる
すすむ
鎌倉と鎌倉郡の歴史
indexへ
<< アプローチ >>
江ノ島電鉄(江ノ電)の腰越駅から5分ぐらいです。
腰越駅の改札口から出て,腰越の商店街を鎌倉方面に進みます。200mほど進んだあたりの右手の広い路地を進み,国道134号を渡ったところが小動神社です。国道の手前側には浄泉寺の山門が見えます。
小動神社(こゆるぎじんじゃ)
と
小動岬(こゆるぎみさき)
小動神社 参道と鳥居
小動神社 本殿
小動神社 本殿
弘法大師が、この岬の頂きに登ったとき、老松の枝が風もないのに揺れ、その傍らに神女の影をみたといういい伝えがあります。その松は「小動の松」と呼ばれるようになったといいます。それが”小動”という地名の由来といいます。
小動岬にある小動神社(元は、八王子宮)の創建は、文治年間(1185-1190)、佐々木盛綱(もりつな ; 源頼朝に伊豆配流のときから仕えた武将)によると云えられています。 盛綱が、源平合戦のおり、父祖の領国であった近江国から八王子宮を勧請したものと云います。
また、新田義貞が鎌倉攻め(元弘3年(1333)5月)のおり、戦勝祈願したといいます。義貞は、その後「剣一振に黄金」を添え寄進され、中興の祖とされました。
八王子宮は明治の初めまでは浄泉寺に属していましたが、神仏分離政策により小動神社となりました。
祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと) 、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八王子の命(はちおうじのみこと:五男三女の八人の王子)、他 となっています。
<<境内社について>>
本殿の左側に”海(わたつみ)神社があります。(海上安全の神) その左に亀の像があり、龍王海神とあります。
さらに、左に石塔が並び、稲荷社、金刀比羅宮と並びます。
本殿の向かい側、境内の反対側には第六天社が祀られています。社殿の傍らに、石塔・石仏が置かれています。
<<例祭について>>
例大祭 湯花神楽(鎌倉神楽奉納) 1月16日
天王祭 お囃子屋台、人形山車、お神輿 7月第1日曜から第2日曜
小動神社 (境内社)海神社
小動神社 (境内)石塔
小動神社 (境内社)稲荷社と金刀比羅宮
小動神社 (境内社)第六天社
小動神社 (境内社)第六天社 社殿
小動神社 (境内社)第六天社 石塔・石仏
<<展望台(境内)>>
境内の海側に展望台があります。ここからは、小動岬の先端、江ノ島、腰越漁港と相模湾が一望にできます。
佐々木盛綱も、この景色が気に入って、八王子宮をこの地に勧請したとも云われています。
小動神社から 腰越漁港、江ノ島を見る
小動神社から 小動岬
小動神社 参道
浄泉寺(じょうせんじ)
小動山浄泉寺は、開山は弘法大師の空海と伝えられています。本尊は左手に剣を持つ不動明王像で秘仏と言われています。(非公開)(普通、不動明王像は右手に剣を持つ)
佐々木盛綱が勧請したという八王子宮(後の小動神社)は、長く浄泉寺に属していて、寺の住職が宮の別当を兼ねていたといいます。
古い参道が腰越商店街から続いています。国道134号が開通するまでは山門はこちら側にあったといいます。現在は国道沿いにあります。
浄泉寺 山門
浄泉寺 本堂
浄泉寺 古参道
<< 宿泊 >> 腰越、小動岬付近の宿泊施設
かきや旅館
腰越商店街にある老舗旅館(新館)。
道路を向かいの本館はお食事処。
腰越漁港にあがった新鮮な食材、シラスが自慢。
KKR江ノ島ニュー向洋
江ノ島駅近く。片瀬海岸にあるKKRの宿。
腰越も近く。
鎌倉プリンスホテル
鎌倉七里ヶ浜にあるリゾートホテル。
江ノ電七里ヶ浜駅より腰越駅は2駅。
(その他)
江ノ島島内に観光旅館ホテル等、藤沢駅付近にビジネスホテル等あり。
↓こちらへ!
もどる
すすむ
鎌倉と鎌倉郡の歴史
indexへ
このページの
上へ