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杉本寺は,鎌倉で最古の寺院といいます。 また,鎌倉期には創設されたという観音霊場めぐり 坂東三十三ヶ所の一番札所となっています。昭和の初めころからは観音霊場めぐり 鎌倉三十三ヶ所も創設され一番札所となっています。今でも札所めぐりの人が多く訪れます。 本尊に三体の十一面観音菩薩立像を安置しています。 |
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<< コース と アプローチ >> |
鶴岡八幡宮の東鳥居からおよそ800m,鎌倉の町や路地を楽しみながら歩いていくのが良いでしょう。JR鎌倉駅よりバスを利用することもできます。
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○ JR鎌倉駅よりバス [杉本観音]バス停 下車 << 行き先 >> ・鎌倉霊園太刀洗(八幡宮・十二所経由) ・金沢八景駅(鎌倉霊園太刀洗経由) ・ハイランド循環(八幡宮・岐れ道・泉水橋経由) |
大蔵山 観音院 杉本寺 (だいぞうざん かんのんいん すぎもとでら) (天台宗) 鎌倉 |
観音堂(本堂)(県重文)は延宝5年(1677)の再建といいます(詳細不明、その前後と思われます)。 茅葺きの観音堂は、間口、奥行きとも五軒の正方形で密教本堂の特色を持ちます。
<<観音堂内>> 正面に、仁寿元年(851)慈覚大師作と伝えられる十一面観音菩薩立像(国重文)。寄木造彫眼、平安後期の作と見られる。 その左手に,天平6年(734)開基でもある行基(ぎょうき)作と伝えられる十一面観音菩薩立像(市文)。一木造り、平安後期の地方作と見られる。 その右手に,寛和2年(985)恵心僧都(えしんそうず)が刻まれたという十一面観音菩薩立像(国重文)。寄木造玉眼、鎌倉時代中期の作と見られる。 の十一面観音菩薩立像三体を安置しています。 他に、 三体の本尊の前立ちの十一面観音像(室町時代、源頼朝の寄進とのいい伝えもありますが時代が合いません)。 毘沙門天像(応永三十四年(1427)銘)、宅間法眼浄宏(たくまほうげんじょうこう)作と伝えられる。 地蔵菩薩立像(市文)(鎌倉時代)、安阿弥(あんなみ)作と伝えられる。 地蔵菩薩立像(室町時代)、運慶(うんけい)作と伝えられる。 不動明王(ふどうみょうおう)像、観音三十三身(かんのんさんじうさんじん;観音菩薩が衆生を救うため姿を現した三十三の姿形)、など他。 |
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金沢街道沿いからすぐの石段の上に茅葺八脚門の仁王門(阿形・吽形の金剛力士像(仁王像)を両脇に持つ)が見えます。仁王像は運慶作と伝えられているようですが、詳細は不詳とのことです。
仁王門をくぐると、苔むした鎌倉石の石段が観音堂まで続いています。この石段は保護されているので、その脇に設けられた新しい石段を上ります。 |
境内、観音堂に向かって右に六地蔵とともに数多くの五輪塔がならんであります。
杉本城を守っていた斯波家長(しばいえなが;足利尊氏(あしかがたかうじ)方)が,北畠顕家(きたばたけあきいえ)に攻められ自害したことにまつわるものと伝えられています(南北朝時代、建武四年(1337))。
<<杉本城>> 杉本城は,この大蔵山に築かれた城郭です。観音堂(本堂)の北西側背後の山頂付近を中心に築かれた山城であったと思われます。観音堂のある平場も城郭の一部であったと思われます。 平安期末、三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)の長子杉本太郎吉宗が築いたといわれます。三浦一族の衣笠城(きぬがさじょう)を本拠とする支城の一つでした。 南北朝時代、建武四年(1337)、足利尊氏(あしかがたかうじ)討伐を画策した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の命により北畠顕家(きたばたけあきいえ)が朝比奈切通を越え鎌倉に攻め込みました。そのおり斯波家長(しばいえなが;足利尊氏方)がこの杉本城にて北畠方を迎え撃ちましたが、わずか一日で落城、長家以下三百人が討ち死にしたといいます。 現在、杉本寺背後の土地は私有地となっていて立ち入ることはできません。 |
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観音霊場(三十三ヶ所札所)めぐり と 杉本寺 |
杉本寺は,観音霊場めぐり 坂東三十三ヶ所の一番札所とされています。また近年もうけられた観音霊場めぐり 鎌倉三十三ヶ所にも一番札所とされました。
観音霊場めぐり 坂東三十三ヶ所が創設されたのは鎌倉期と考えられています。関東地方の有力豪族にそれぞれの地方の観世音を本尊とする有力な寺院を推挙させ,鎌倉を基点とする坂東三十三ヶ所が創設されたといいます。 観音霊場めぐり 鎌倉三十三ヶ所は大正から昭和の初め頃に鎌倉市内だけで三十三ヶ所めぐりができるようにと創設されました。 観音堂内では,観音霊場めぐりのためのご朱印帳などの物品や書物が購入できます。また質問にも心よく対応してくれます。 観音霊場めぐりをしてみようと思う方は,まずここで,ご朱印帳を入手して情報を仕入れたから行うのが良いでしょう。 |
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