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戸塚区 上矢部 には,丹後山と呼ばれる萱山があります。 ここには,丹後の局 伝承, 島津忠久 産湯の地 伝承があります。 |
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<< 丹後の局 伝承 >>
丹後の局は源頼朝の愛妾で,寵愛を厚く受け身ごもりました。そんな局を頼朝の正室の北条正子は鎌倉から追い出してしまいました。(殺害しようとしたとも言われています。) 局は鎌倉を逃れ,身を隠しながらこの地までたどり着きました。 日は暮れ,民家に一夜の宿を請いましたが誰も相手にしてくれず,しかたなく伊勢の宮(現 神明社)にて休むことにしました。ところが急に産気づき途方にくれていると, 闇夜にいくつもの狐火がともり明るくなり,難なく男子を出産しました。 夜も明け,赤子の声がするので村人が尋ねてみると,昨夜の娘が居ました。事情を聞き,頼朝の愛妾 丹後の局であることを知り,驚き,哀れに思い,早速見晴らしの良い地を選び一屋を建て住まわせました。 この地が丹後山とよばれるようになりました。 男子は,成長して島津三郎忠久を名乗り,九州の大名になりました。(島津藩の初代頭首) 丹後山には,島津忠久の産湯の井戸があったといいます。 また,畠山重忠が丹後の局 母子の後ろ盾になり,援助したともいいます。 重忠は,自分の娘(一族の娘とも言われています)を忠久の正室として嫁がせたといいます。 島津家は,畠山氏との縁が代々深く,島津氏重書目録には,畠山重忠自筆とみられる書状の記があるといいます。 なお,丹後の局 伝承は,上矢部 以外にも数ヶ所にあります。 |
丹後の局 供養塔 ( 戸塚区 上矢部 ) |
県道 瀬谷柏尾線沿いウィンズ・ラジャ温泉駐車場裏の一帯が丹後山です。 丹後の局 供養塔は,その麓にあります。 県道からラジャ温泉駐車場の脇へ入り,戸塚資源選別センターの前を過ぎた並びに在ります。 そこにある碑文には,丹後の局の墓と伝えられる塚があったとあります。その古蹟を残すと共に,局の供養の為に供養塔を建立したと記されています。 昭和42年に建立されたものです。 拡大写真をUPしますので,読んでみて下さい。 ( 右 ) |
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丹後 神明社 ( 戸塚区 上矢部 篠塚 ) |
丹後山の北西側の麓に神明社があります。 丹後の局が,この境内で男子を出産したと伝えられています。 右下の写真の少し先に,神明社の鳥居があります。 鳥居脇に,神明社の説明板があります。 ( 説明板 -- 拡大 写真 ) この辺りは,稲荷谷ともよばれています。むかしは,狐がたくさんいて,狐火が多くみられたといいます。 |
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篠塚 八幡社 ( 戸塚区 上矢部 篠塚 ) |
丹後山の南西側の麓には,篠塚八幡社があります。 丹後山 神明社 や 丹後の局 供養塔からは,山の反対側になります。 |
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