鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
   天園ハイキングコース  (薬師ヶ谷 より 覚園寺・今泉住宅分岐まで)    鎌倉   
      
    
welcome
    

   鎌倉を囲む峰々を伝い歩く天園ハイキングコースは展望もよく、所々にやぐらや石仏・石塔などの歴史的史跡もあり、鎌倉にあるハイキングコースの中でも特に人気があります。
 天園ハイキングコースのメインの部分で多くのハイカーに歩かれているのは、<<建長寺半僧坊 〜 勝上けん 〜 十王岩 〜 覚園寺・今泉住宅分岐 〜 鷲峰山 〜 大平山 〜 天園峠(六石峠) 〜 貝吹地蔵(天台山付近)〜 胡桃山付近〜瑞泉寺境内>>の部分です。
 ここでは枝の部分にあたる<<薬師ヶ谷 〜 覚園寺・今泉住宅分岐>>を紹介をします。
 また、この周辺には多くの「やぐら」が点在する「百八やぐら」があります。

     もどる     すすむ    鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ     

 
  << アプローチ と 行程 >>   
 鶴岡八幡宮 東鳥居 ・  畠山重忠 邸跡  〜  荏柄天神社 ( およそ 700m )  
 荏柄天神社 〜 ( お宮通り ) 〜 大塔宮 ( 鎌倉宮 ) ( およそ 200m )  
 大塔宮 ( 鎌倉宮 ) 〜 覚園寺方面と天園ハイキングコースの分岐 ( およそ 400m )
 
 覚園寺方面と天園ハイキングコースの分岐 〜 覚園寺・今泉住宅分岐 ( およそ 800m )
 



   天園(てんえん)ハイキングコース (薬師ヶ谷 から 覚園寺・今泉住宅分岐まで)               
       
薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 画像 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 画像 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 画像  
薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース  
 
     
 大塔宮から薬師ヶ谷の道を進みます。覚園寺へ向かう道です。400m程で右に天園ハイキングコースへの道が分岐します。この分岐には石仏・石塔が数体並べ置かれています。
 そこから天園ハイキングコースへの道をたどると、すぐに急な上り坂の、両側に岩壁がせまった切通した山道になります。急坂を上りきると尾根道になり起伏が緩くなります。右に住宅地を見、左に谷を見るようになります。左の谷は覚園寺の境内です。住宅地が途切れ、しばらく進むとまた上り坂になり右の山腹にいくつものやぐらがつらなり並んでいるのが見えてきます。
「百八やぐら」とよばれるやぐら群です。鎌倉最大のやぐら群といわれています。その一部を見ることができます。
 すぐその先が天園ハイキングコースの「覚園寺・今泉住宅分岐」です。
    
       
薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 画像 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 画像 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 画像  
薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース 薬師ヶ谷から天園ハイキングコース  
 
     

   百八やぐら (覚園寺百八やぐら群)  (県史跡)             
 天園ハイキングコースの「覚園寺・今泉住宅分岐」付近では数多くの「やぐら」が見つかっています。これらのやぐら群は「百八やぐら」と呼ばれています。ハイキングコースの尾根筋から、覚園寺境内(薬師ヶ谷)側の山腹、二階堂側の谷に向く山腹に広く散在しています。「百八」とは数多くのという意味で実際の数は200程あるといいます。その場所は、足場も悪く、立ち入りが禁止されているところもあり、訪れることができない場所も多くあります。しかし、ハイキングコース付近は足場もよく、道(踏み跡程度のところもある)もありますので容易に見て回ることができます。またその一画は一番密集しているところでもあり、鎌倉の比較的古い様式の「やぐら」も多く、風化している様相、崩れかけた様相、草に埋もれた様相など趣き多々あります。ハイキングがてら訪れてみるのもよいでしょう。

 天園ハイキングコースの「覚園寺・今泉住宅分岐」からたずねてみましょう。分岐から「覚園寺」方向へ十数メートルほど進みます。すると左手の山腹に比較的形の整った「やぐら」を見ることができます。近づき東側へ山腹を回りこむといくつかの原型のよく残った「やぐら」があります。その先を見るとさらに「やぐら」が一列につながって並んでいるのが見えます。進むとその下にもう一段「やぐら」の並びがあります。これらの多くのやぐらは風化がすすんでいて、羨道(出入り口)部分が崩れ、また隣のやぐらとの間の壁が崩れ、つながったようになっています。五輪塔や石仏も外部に出てしまって風雨にされされているものもあります。さらに進むと、大きな「やぐら」がいくつか現れます。こちらは、入り口や玄室は残っているのですが、内部の壁が崩れ、一部隣のやぐらとつながっていたりします。もとはそれぞれ別の「やぐら」だったのでしょう。
 「やぐら」の内部には、多くの首のかけた仏像が並んでいるのが見受けられます。この仏像は明治の中頃、「弘法大師八十八ヶ所霊場」として、八十八体の弘法大師像が置かれたものといいます。どれも首がないのは、博徒連中にこの像の首をふところにして賭場に行くとツキがよいと信じられていたため持ち去られてしまったためといいます。  
    
       
百八やぐら 画像 百八やぐら  画像 百八やぐら  画像  
百八やぐら 百八やぐら 百八やぐら  
 
     
       
百八やぐら 画像 百八やぐら  画像 百八やぐら  画像  
百八やぐら 百八やぐら 百八やぐら  
 
     

     もどる     すすむ   鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ   このページの 上へ