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長慶山 正覚院 大巧寺 (ちょうけいざん しょうがくいん だいぎょうじ) はJR鎌倉駅にほど近い、若宮大路に面してあります。
産女霊神(うぶめれいじん、うぶすめれいじん)を祀る安産祈願の寺です、「おんめさま」と呼ばれています。 |
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<< アプローチ >> |
(JR鎌倉駅(東口)より) |
・ JR鎌倉駅(東口) 〜 若宮大路 大巧寺 裏門 ( およそ 100m ) | |
JR鎌倉駅東口から、若宮大路をわたった歩道に面して大巧寺裏門があります。なお、表門は小町大路側を向いてあります。 (付近の略図(地図)は 祇園山ハイキングコース のページへ) |
長慶山 正覚院 大巧寺 (ちょうけいざん しょうがくいん だいぎょうじ) (日蓮宗系単立寺院) |
大巧寺 裏門(若宮大路側) | 大巧寺 門柱から本堂 | 説明板 大巧寺 | ||||
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大巧寺(だいぎょうじ)は、当初は十二所(じゅうにそ)にあって大行寺(だいぎょうじ)と称した真言宗の寺であったといいます。創建年や開山などは不明です。鎌倉時代初期ころ、源頼朝の祈願所とされ、頼朝がこの寺で軍議を行い大勝利を収めたことから、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名したといいます。
その後、元応二年(1320)、現在地へ移転しました。住持が日蓮宗に帰依し日蓮宗に改宗したといいます。現在では日澄(にっちょう)を開山としています。 本尊は、産女霊神(うぶめれいじん、うぶすめれいじん)です。 産女霊神を祀る安産祈願の寺として知られています。「おんめさま」とよばれています。 室町時代の終わり頃、住職の日棟(にっとう)が、比企谷妙本寺に経を上げに行ったとき、滑川の橋のたもとに女の霊がさまよい泣いているのを見かけました。 日棟が女に何故このような所をさまよっているのかたずねると、女は秋山勘解由の妻で難産により死んだこと、死出の旅路に迷い成仏ができないことを訴えました。日棟は哀れに思い法華経を読経すると、いつのまにか女はいなくなりました。 数日後、日棟の前に再び女が現れ、読経により成仏できたことに礼を述べ、このことを夫に伝えて欲しいと、宝塔を建立し供養して欲しいと言い、また法華経の恩返しとして妊娠した女が安産するよう尽力すると言い帰っていきました。 この事を秋山勘解由に伝えると、勘解由はとても驚き、妻を成仏に導いてくれたことに感謝し、五輪塔建立に力を貸したといいます。 その後、成仏した女の霊を産女霊神として祀る安産祈願の寺となりました。 <<小町大路 から 大巧寺 境内 へ>> 大巧寺は若宮大路に背を向け小町大路側に向いて建っています。それはかつて鎌倉幕府が若宮大路側に出入り口を設けることが禁止していたためです。 小町大路から大巧寺へ向かう小路の入り口かどには「大巧寺」の石塔が建っています。この小路の先正面に大巧寺の門柱(表門)が建ちその先に本堂が見えます。 門柱(表門)をくぐり、境内に入ります。境内は狭くこぢんまりとした感じです。草花や樹木が多く植えられていてよく手入れがされています。正面に本堂が建ち右手に寺務所・庫裏が建ちます。手前右手に手水舎があります。左手に本堂を回り込むように続く道があり、本堂背後から裏門へ続き若宮大路に出ることができます。 |
大巧寺参道と石塔 小町大路沿いから | 大巧寺門柱と本堂 小町大路側 | 本堂 大巧寺 | ||||
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本堂 大巧寺 | 寺務所・庫裏 大巧寺 |
<<本尊 持宝 他>>
本尊は、産女霊神(うぶめれいじん、うぶすめれいじん)です。 境内、本堂前左わきに産女霊神供養塔が建ちます。 本堂内に産女霊神神骨を納めたたという水晶の五輪塔(高さ:約30cm)が納められています(非公開)。本山妙本寺に預けてあったものが2011年6月に返されました。 他に、寺宝「曼荼羅」二幅、本山妙本寺の霊宝殿に預けてあります。うち一幅は、日蓮による真筆とされています。 <<庭 裏門(若宮大路側)へ>> 本堂前から左側に本堂を回り込むように背後へ続く道があります。草花樹木の間を進むと若宮大路側の裏門に至ります。 |
境内 大巧寺 | 境内 大巧寺 | 境内 大巧寺 | ||||
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境内 大巧寺 | 境内 大巧寺 | 境内 大巧寺 | ||||
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<<裏門 (若宮大路側)>>
かつて鎌倉幕府が若宮大路側に出入り口を設けることが禁止していたため、大巧寺は若宮大路に背を向け小町大路側に向いて建っています。現在は、若宮大路に面して朱塗りの見栄のする薬医門様式の裏門が設けられていています。 門前には石標が建ち、その正面に「安産子育 産女霊神 長慶山 大巧寺」とあります。その側面には「源頼朝 軍評定旧趾」とあります。 |
大巧寺裏門(若宮大路側) | 大巧寺裏門(若宮大路側) | 大巧寺裏門 境内側から | ||||
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