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化粧坂切通し(けわいざかきりどおし)は、鎌倉七口、鎌倉七切通しの一つです。
鎌倉時代、鎌倉幕府にとって重要な交通の要所であり重要な防衛の要所でもありました。 武蔵大路(むさしおおじ)は、鎌倉から武蔵の国(国府推定地は現在の府中付近)へ向かう道です。化粧坂(けわいざか)はその一部と推定されます。 |
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化粧坂切通し(けわいざかきりどおし) と 武蔵大路(むさしおおじ) |
化粧坂切通しは鎌倉七切通し(鎌倉七口)の一つで,鎌倉期の武蔵大路の一部と推定されています。 鎌倉時代、重要な交通の要所で、防衛上の要所でもありました。幾度か戦場にもなりました。 新田義貞の鎌倉攻めの時は主力部隊がここを攻めました。しかし,幕府軍の堅い守りを破れず,新田義貞は極楽寺坂切通しに移り,稲村ガ崎の海岸を引き潮に乗じて進軍したといいます。 化粧坂という名まえの由来にはいくつかの説があります。 ・木がうっそうと茂っていたので,「木生え(きはえ)坂」とよばれたのがもと。 ・扇ヶ谷に遊女がいた。遊女の化粧から。 ・葛原岡に刑場があり,首実験のおり死化粧をした。 ・歌舞伎「寿曹我対面(ことぶきそがのたいめん)」で,化粧坂ノ少将(女性)と十郎の恋物語があり,この女性の名がもと。 など。 <<武蔵大路について>> 「武蔵大路」とは、鎌倉時代の鎌倉から見て武蔵の国へ向かう路の名称です。 しかし「武蔵大路」という呼び名が示す道の正確な位置と範囲は定かではありません。 鎌倉時代の鎌倉の交通の起点は、横大路(鶴岡八幡宮の三ノ鳥居の前の道)あたりです。そこから武蔵の国の国府(現在の府中付近)へ向かう道としては、化粧坂を越え深沢を通る「鎌倉道」の「上の道」が該当します。「武蔵大路」とは、その鎌倉部分をさして呼んだと考えられます。化粧坂とその前後を含んだ部分が推定できそうです。 |
武蔵大路 岩船地蔵尊 横 |
武蔵大路 岩船地蔵尊 手前右へ行くと 亀ヶ谷坂切通し |
武蔵大路 横須賀線ガード下 | ||||
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<<横大路から武蔵大路を歩く>>
横大路を起点として、往年の「武蔵大路」を源氏山公園までたどってみます。 鶴岡八幡宮の三ノ鳥居から横大路(県道)を北鎌倉方向へ進みます。 100mほどで県道は直角に右に曲がりますが、そこを左手の小道の方に入ります。こちらの道は小町通りです。小町通り入った左手に鎌倉十井の一つ「鉄の井(くろがねのい)」があります。 正嘉2年(1258)の鎌倉の大火で扇ヶ谷に在った新清水寺が焼失し、寺の所蔵していた鉄製の観音像が紛失しました。その観音像の頭部がこの井戸から見つかったということで「鉄の井」と呼ばれるようになりました。 小町通りに入り30mほどのところで右の道へ進みます。この道はいわやみちといわれています。この道の途中に「いわや不動尊・いわや堂・まやどう」があり、それに由来してそう呼ばれています。いわや不動尊は、平安のころにはこの場所にあったと推測されています。いまは、甘味処・食事処となっています。お参りがてら休息するのもよいでしょう。 いわやみちは200mほどで横須賀線の踏切にあたります。その踏切の手前右、線路脇に狭い小路があります。その道に入ります。 100mほどで、左手に踏切がある広い道に出ます。今小路・今大路からの道です。さらに進むと岩船地蔵堂が見えてきます。ここで右へ分岐する道は亀ヶ谷坂切通しへの道です。 亀ヶ谷坂切通し、岩船地蔵尊に関しては、亀ヶ谷坂切通し のページへ 岩船地蔵堂の横を直進し、横須賀線のガード下をくぐり、海蔵寺方向へ谷(やつ)の道を進みます。150mほどで分岐があり、案内標識があります。ここを標識にしたがって左の道を源氏山・化粧坂方向に進みます。 化粧坂の道へ入り50mほどのところ左手に景清の土牢を言われているくぼみのある岩壁があります。言い伝えによると、源平合戦で活躍した平家方の武将平景清(藤原景清)は、源平合戦の後、鎌倉に潜伏し源頼朝の暗殺を企てたといいます。しかし事前に発覚し捕えられこの土牢に幽閉されたといいます。景清の伝説は各地にいくつもあり、この言い伝えの信憑性は?でしょう。 景清の土牢から道は上り坂になります。この辺が化粧坂とよばれるところです。 坂道を上っていくと、行く手がうっそうとした樹木に阻まれ舗装の道が途絶えます。その手前右に「化粧坂」の石碑があります。道は山道になり樹木の中に続いています。 |
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海蔵寺への谷の道 | 景清の土牢 | 化粧坂のみち | ||||
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化粧坂のみち この先で道は山の中へ |
化粧坂 石碑 |
化粧坂 ここから道は山の中へ |
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樹木の中、山道に入ると、坂は角度を増しつづら折れの急坂になります。路面は岩がむき出しで濡れており滑りやすいので注意し進みましょう。この山道の部分が化粧坂切通しと呼ばれているところです。
道の左右や左側が切通されています。左手の山の上から攻撃するようになっていたようです。所々、路面の岩に段が造ってあり、置き石もあり、馬や荷車などは通行しにくくしてあるようです。 切通しの道を上りきると、鞍部状の尾根の平坦な道に出ます。ここは源氏山公園の一部で、左に僅かに上ると源頼朝像の前,右に進むと葛原岡です。 武蔵大路は右手、葛原岡方向へ向かいます。 |
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化粧坂切通し 岩盤がむき出しの滑りやすい道が続く |
化粧坂切通し 置き石がある道 |
化粧坂切通し 置き石がある道 |
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化粧坂切通し 段差のある道 |
化粧坂切通し へ下る |
化粧坂切通しへ下り口 源氏山公園内 |
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源氏山公園内の道を葛原岡方向に進むと、車止めがあり舗装された道に出ます。ここを左におれ、大仏ハイキングコースへの分岐点を目指します。
大仏ハイキングコースへの分岐点で、大仏ハイキングコースへの入り口に向かい右側に梶原方面、鎌倉グリーンハイツへ下りる道があります。これが「武蔵大路」が通っていたと推定されているところです。 鎌倉グリーンハイツへ下る道は、一般の生活道路で、観光や散策で歩くのに適した道ではありません。引き返し適当な道から次の目的地へ向かいましょう。 |
源氏山公園内 武蔵大路が通っていたところ(推定) |
大仏ハイキングコース(左側)との分岐 右に下るみちが梶原方面、武蔵大路 |
武蔵大路 鎌倉グリーンハイム・梶原方面への道 |
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