|
|
鎌倉市今泉に白山神社とそれに隣接した寿福山今泉寺(じゅふくさんこんせんじ)があります。かつて源頼朝(みなもとのよりとも)ゆかりの毘沙門堂(びしゃもんどう)があったところです。
|
もどる | すすむ | 鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ |
<< アプローチ >> |
(JR大船駅(東口)より) |
JR大船駅東口から、江ノ電バス「鎌倉湖畔循環」 にて 「白山神社」下車 称名寺方向に100mほど (付近の略地図は 大船から今泉方面 周辺 略地図 のページへ) |
白山神社 (鎌倉市今泉) |
参道入り口 白山神社 | 天廣丸の狂歌碑 | 天廣丸の狂歌碑 文学案内板 | ||||
|
祭神 ーー 菊理姫之命(くくりひめのみこと)
大注連縄祭 ーー 1月8日 <<由緒 他>> もとは、毘沙門堂(びしゃもんどう)がありました。明治の神仏分離で末社の白山社の名がつけられ白山神社となりました。 毘沙門堂は建久元年(1190)、源頼朝(みなもとのよりとも:鎌倉幕府を開いた。鎌倉幕府初代将軍。)の建立といいます。頼朝が上洛し鞍馬寺(くらまでら)に参詣したとき、行基(ぎょうき)作の毘沙門天(びしゃもんてん)の二体のうちの一つを請い貰い受けこの地に毘沙門堂を建て安置したといいます。 ※ 「毘沙門天」 ーー 多聞天(たもんてん)ともいいます。須弥山(しゅみせん)の四方向におかれ仏法を守護するとされる四天王(してんのう)のうちの一つで、北方の守護とされています。 <<参道まで>> バス停「白山神社」から称名寺方向に100mほど進むと左側に参道があります。数段高くなった石段の上、参道入り口に「白山神社」の木標や「禅宗今泉寺」の石標等が並んであります。 参道の入り口左側に江戸時代の狂歌師 天廣丸(あまのひろまる)の狂歌碑があります。廣丸は大船今泉の生まれで、江戸に出、狂歌師として名を知られました。酒好きでも知られました。狂歌碑には「くむ酒は 是風流の眼なり 月を見るにも 花を見るにも」と刻まれています。詳しくは脇に建つ「文学案内板」に記されています。 <<参道と石仏・石塔など>> 参道を進むと、右傍らに柵に囲まれて石仏・石塔が並び建ってあります。寛文十二年銘の庚申塔は市の有形民俗文化財に指定されています。 その先の右手には、「びしゃもんてん」「毘沙門堂」と刻まれた石標などが建ち並んでいます。 その先参道は石段の上りになります。 |
庚申塔、石仏 白山神社参道 | 庚申塔、石仏 白山神社参道 | 庚申塔、石仏 白山神社参道 | ||||
|
石標、石塔 白山神社参道 | 白山神社参道 |
<<社殿 境内 他>> 石段を上ると、境内入り口に大きなしめ縄(しめなわ;注連縄)が渡してあり、その向こう奥に社殿が建ちます。 現在の社殿は、昭和36年(1962)に山崩れで破損したあと再建したものといいます。屋根に獅子の形の飾り瓦が目を引きます。 しめ縄は、一月八日に行われる大注連縄祭に奉納されたものです。このしめ縄は大百足(むかで)を模したもので、百足は毘沙門天の「使わしめ」(使者)とされています。 祀られていのは、頼朝が鞍馬寺から請来したという兜跋毘沙門天(とばつ びしゃもんてん)立像で県の重文に指定されています。一木造りで像高164.5cmで十一世紀頃の作と思われます。またその前立(まえだち)像として毘沙門天(寄木造り、像高149cm)立像と両脇侍立像(吉祥天(きちじょうてん)と善膩師童子(ぜんにしどうじ))があります。こちらは室町時代の作と思われます。 |
社殿としめ縄 白山神社 | 境内から参道方向を見る 白山神社 | 社殿 白山神社 | ||||
|
社殿の彫刻 白山神社 | 社殿の飾り瓦 白山神社 | 社殿の飾り瓦 白山神社 | ||||
|
<<境内社 他>> 社殿に向かい右手隅に境内社の子守神社が建ちます。さらに傍らに石廟が並んでおかれています。子守神社脇には解説板があり詳しい解説が記されています。 子守神社 祭神 ーー 天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ) (子授・安産・子育ての神) 「元は水の配分をつかさどりる神であるが、このみくまりをみこもりと訛って早くから子守神として信仰があった。 ーー 」との説明が記されています。 |
子守神社 白山神社境内社 | 子守神社解説板 白山神社 | 石廟 白山神社境内 | ||||
|
寿福山今泉寺(じゅふくさんこんせんじ) (臨済宗建長寺派) (鎌倉市今泉) |
白山神社参道の石段の途中左手に寿福山今泉寺があります。
元は毘沙門堂の別当寺でした。本尊は「出山釈迦像」と伝えられます。 明治の神仏分離のあと廃寺になりましたが、昭和58年(1983)、本尊如意輪観音の開眼供養を行い再建されました。 |
白山神社境内から本堂を見る 今泉寺 | 本堂 今泉寺 |
もどる | すすむ | 鎌倉と鎌倉郡の歴史 indexへ | このページの 上へ |