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名越切通(なごえきりどおし)は、鎌倉七口、鎌倉七切通しの一つです。
鎌倉の大町と逗子の間の山を切通して開かれた道で、三浦方面へ通じる交通の要所でした。また、鎌倉時代は鎌倉防衛の要所でした。名越坂、名越路とも呼ばれていました。 |
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名越切通(なごえきりどおし) 鎌倉 : 逗子 |
名越切通は、鎌倉七口:鎌倉七切通し一つで、鎌倉の大町と逗子の間の山を切通して開かれた道です。鎌倉から三浦方面への出入り口になります。
開かれたのは、鎌倉時代の初めと推測されています。その頃、北条氏は策略・策謀を駆使し鎌倉幕府の実権をにぎりました。そんな北条氏にとって、幕府創業の功臣である有力な三浦氏は最大の脅威でした。三浦に拠点を置く三浦氏に対抗する北条氏にとって、名越切通は鎌倉防衛の重要な要所で、軍事的色合いが強かったと思われます。 北条氏は宝治元年(1247)、宝治合戦にて三浦氏を滅亡させました。その後は切通しの道も軍事的意味は薄れていったと思われます。 切通しの途中には、平場(ひらば)、土塁(どるい)、曲輪(くるわ)、空堀(からぼり)、置石(おきいし)、大切岸(おおきりぎし)など、軍事的防衛施設が設けられていました。 なお、大切岸は、当初は石切場であり、それが大きな崖になったと推測されています。それが後、実際に防衛施設として利用されたかどうか詳細は不明です。 名越切通の道は、切通された部分とその前後をふくめて名越坂とも名越路ともよばれています。 ”名越坂”という名称は古くから文献に記述があり、名越切通が開かれ整備された鎌倉時代初めかそれ以前にすでにそのよび名があったと推測されます。狭い山道程度の道は以前からすでにあったのでしょう。 |
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銚子の井 | 日蓮乞水 | 鎌倉ビール 名越坂ブルワリーハウス | ||||
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名越坂 大町より上る | 名越坂より大町方面を望む | 名越坂 急な坂道(階段)が続く | ||||
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<<鎌倉大町長勝寺付近から名越切通へ向かう>>
鎌倉の大町から逗子まで名越切通の道を歩いてみます。 大町の「長勝寺」バス停を起点とします。 バスの通り(県道)を逗子方向に進むと歩道の切れたところ左手に銚子の井(ちょうしのい:鎌倉十井の一つ)の石碑が見えます。小さな石碑ですので見逃さないように。 石碑のところ左の路地を入ります。人一人が通れるぐらいの狭い路地です。 路地に入るとすぐ右の民家のわきに銚子の井があります。 <<銚子の井>> 銚子の井(ちょうしのい)は鎌倉十井の一つで、井戸の形が全体の形が長柄の銚子の形に似ていることからこの名前がついたのことです。重そうな石の蓋が置かれて塞がれています。 <<日蓮乞水へ向かう>> 銚子の井から路地を反対方向に進むと、横須賀線線路に平行にのびる道に出ます。この道は、県道の長勝寺前の踏切からの道です。名越切通へのみち、古道名越坂の路が通っていたのはこの道のあたりです。右に逗子方向に進みます。その先の右手に日蓮乞水があります。 <<日蓮乞水>> 日蓮乞水(にちれんのこいみず)は鎌倉五名水一つです。 日蓮上人が建長6年(1254)、名越切通を越えて鎌倉に入ったときに、水を求め持っていた杖で地面を突き刺したところ水が湧き出したとされています。以後日照りの時もかれることがなかったといいます。 <<鎌倉ビール醸造所 名越坂ブルワリーハウスへ>> 名越切通しへの道は日蓮乞水の先左手の踏切を渡るのですが、その反対側右手の道を進むと、県道に出た所には鎌倉ビールの醸造所名越坂ブルワリーがあります。ここで醸造される地ビールの鎌倉ビールは2011年に国際優秀味覚を受賞しました。鎌倉ビールは鎌倉の名品の一つです。価格はかなり高めですが!(~_~;) 定番は3種類。 月(緑)ーー まろやか。 和食やチーズに。 花(赤)ーー 芳醇。 肉料理に。 星(青)ーー 喉ごし。 シーフードに。 地サイダー、鎌倉サイダーもあります。 <<日蓮乞水から名越切通へ向かう>> 日蓮乞い水の先の左手にある踏切を渡ります。(日蓮乞水から先しばらくの間の古道は横須賀線の開通工事のおり消失しました。) 。踏切を渡ったら右手に進むようにして、急坂を上っていきます。線路の敷地とを仕切る柵があり、その傍の狭い道を上ります。とても古道らしさは感じられません。振り返ると、鎌倉の大町付近が広く見渡せます。 柵が途絶え、道は山道になると、古道らしい趣きが感じられるようになります。急な石段(階段)の道が続きます。しばらく進むと、道に大きな置石(おきいし:馬が走り抜けられないようにするための障害物)があり、そこを過ぎると左右の崖上に平場ある所に出ます。ここで左に道が分岐しており、道の案内表示があります。 |
名越切通 置石がある道 | 名越切通 山道が続く | 名越切通 ハイランド・法性寺方面分岐 | ||||
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<<分岐から法性寺、ハイランド、衣張り山ハイキングコース方面>>
少し寄り道をして左手の道へ入ってみます。上ると平場になっています。ここに兵を置けば下の切通しの道を行く人馬や軍勢を監視し、さらに攻撃することも容易でしょう。さらに進むと右手にフェンスと木々の間からまんだら堂跡の敷地を垣間見ることができます。なお、この道をさらに進めば、法性寺、ハイランド、衣張り山ハイキングコース方面へ向かうことができます。「衣張山ハイキングコース(平成巡礼道)」を参照してください。ここでは分岐まで戻り逗子方面へ向かうことにします。 衣張山ハイキングコース(平成巡礼道) のページへ |
小坪階段口・緑ヶ丘入り口バス停へ分岐 | 小坪階段口への道 | 小坪階段口への道 上り口案内標識 | ||||
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<<分岐から逗子方面へ まんだら堂跡>>
先ほどの分岐から逗子方向へ進みます。道は下りになり、わずかで左手にまんだら堂跡への道が分岐します。国指定史跡まんだら堂跡は現在閉鎖されていて立ち入ることができませんが、秋(10〜11月ころ、年によっては春)の数日、臨時公開されることがあります。 さらに逗子方向に進むと、また分岐があり案内表示が有ります。右手に下りていく道は「緑ヶ丘入り口」バス停;小坪階段口からの道です。逗子方向に進むことにしますが、訪れる方の多くは小坪階段口を利用しているようです。少し触れておきます。 <<「緑ヶ丘入り口」バス停へ;小坪階段口>> 小坪階段口、「緑ヶ丘入り口」バス停へは、分岐から右手の長い階段の山道を下りていきます。下りきった所は平らな広場になっています。ここにも案内表示が設置されています。この場所の真下には逗子トンネルと新逗子トンネルが通っています。平場を進むと幅の広いコンクリートの階段にでます。その階段を下るとバスの通る県道付近の舗装道路に出ます。 <<小坪階段口への分岐から逗子方向へ>> 分岐から逗子方向に進みます(小坪階段口方向に下りずに)。岩壁が両側に門のように迫った道を10mほど進むと、3方をそそり立つ岩壁に囲まれたところに入ります。俗にいう「大空とう(おおほうとう)」です。この辺が名越切通の一番の見どころです。小坪階段口方向に下りる方もここまでは来てみましょう。 通り抜けて階段の道を下ると道は平坦になり広く開けた場になります。この左手に解説板が設置されていて、「名越切通」について詳しく解説されています。 その少し先で、山道は終わり亀ヶ丘団地に出ます。 |
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名越切通 岩壁の間を進む | 名越切通 大空とう(おおほうとう) | 名越切通 大空とう(おおほうとう) | ||||
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名越切通 大空とう(おおほうとう) | 名越切通 解説板 | 名越切通 解説板 | ||||
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<<亀ヶ丘団地から「久木新道」バス停まで>>
亀ヶ丘団地に出たところ、左手の高台に配水池施設があり、逆方向から来た場合は目印になります。 団地内に出て左の道路を進みます。交差点では、左へ、左へと進みます。下り坂が急になり、左側が谷になるあたりでハイランド方向の視界が開けます。まわりの地形から古道がこの辺を通っていたことが感じとれると思います。 県道近くまで下ると、右手に庚申塔や石塔が並べられているところがあります。付近にあったものが集められたのでしょう。この付近を古道が通っていたことが伺えます。 県道に出ると「久木新道」バス停があります。路地の角の塀に小さな板の案内板があります。古く文字もかすれていますが、よく見ると「まんだら堂へ」の文字が読み取れます。ここがまんだら堂、名越切通への道の入り口に当たります。 |
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名越切通 亀が丘団地からの入り口 | 亀が丘団地内 急坂の道 | 亀が丘団地内よりハイランド方面を見る | ||||
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名越坂 石仏・石塔 | 名越坂 石仏・石塔 | 名越坂 県道からの入り口 | ||||
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