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鎌倉の深沢地区((旧)深沢村;(現)梶原・鎌倉山・上町屋・手広・寺分・常盤・笛田・山崎)は、藤沢市と接し、鎌倉道上の道が通っていたと推測されるところです。鎌倉の北西側の入り口にあたります。
手広は深沢地区の西端に位置し、古くから腰越・江ノ島に向かう道(古道江ノ島道)が通っていたと思われます。江ノ島方向へ向かう道を後世の研究者や執筆家は”江ノ島道”と称しました。(よく古い道標に「右 江ノ島道」というような文字を見かけますが、これは方向を表しているものです。) 手広には、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)ゆかりの青蓮寺(しょうれんじ)があります。青蓮寺は鎖大師の寺として知られています。 |
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飯盛山 仁王院 青蓮寺 (はんじょうざん におういん しょうれんじ) 鎌倉 |
開山は弘法大師の空海で、空海が弘仁10年(819)に開いたという古刹です。
高野山真言宗 準別格本山の寺格をもっています。 <<本尊 木造弘法大師坐像(鎖大師)>> 本尊は、木造弘法大師坐像です。裸像で膝が鎖で繋がれ動くようになっているため鎖大師と呼ばれています。また手足が動くために、衣をまとい、また衣を替えることができるといいます。江戸時代の文献「新編鎌倉志」に「弘法自作の木造あり。鎖大師というなり。鎖を以って膝を屈伸するように造る故に名づく。」と記載されているといいます。 なお、この弘法大師像は、元は鶴岡八満宮の等覚院(とうがくいん)の本尊でしたが、明治初めの神仏分離のおり、他寺を経て後、当寺に移されたといいます。元の本尊は不動明王です。 そのことに関したこんな話も伝わっています。「当時の青蓮寺の住職の枕元に弘法大師像が現れ、迎えに来るようお告げがありました。そこで青蓮寺に安置されるようになりました。」 本尊 木造弘法大師坐像は秘仏とされ普段未公開ですが、年に5回開帳されます。(以下) 12月31日ー 1月1日、 31日ー『古いお札のお焚き上げ法会』午後10時より、1日ー『除夜の鐘』、初詣(元朝は午前0時より元朝護摩) 1月21日 『初大師』午後1時より「大般若経転読護摩法要」護摩祈願。 4月第3土曜日 『鎖大師正御影供大祭』午後2時より 弘法大師が高野山奥の院にご入定された日。稚児の行列があります。 8月16日 『施餓鬼法要』午後1時よりご先祖を供養する法要。 12月21日 納め大師 |
青蓮寺 山門 | 青蓮寺 庫裏・寺務所 | 青蓮寺 鐘楼 | ||||
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<<山門から境内へ>>
境内には石仏・石塔が多く散在し置かれています。山門を入り右手手前に鐘楼が建っています。右手の前方に庫裏・寺務所、その先に本堂があります。 <<本堂・遍照殿>> 本堂に入ることができました。この日は、8月16日『施餓鬼法要』でした。午前中に行くと、午後に行われる法要の準備がされていて、本堂におられた寺僧の方に断って本堂の奥まで入ることができました。普段みることができない本尊の木造弘法大師坐像(鎖大師)が開帳されていて間近に拝観することができました。 他に、不動明王像、愛染明王像が安置され、寺宝に、絹本著色両界曼荼羅図、銅像観音菩薩立像、蓮唐草蒔絵箱形礼盤、黒漆華形大壇などがあります。 |
青蓮寺 本堂・遍照殿 | 青蓮寺 本堂 | 青蓮寺 本堂 | ||||
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<<手広山 宝積院 薬王寺 (てびろさん ほうしゃくいん やくおうじ)>>
本堂の向かいに塔頭(たっちゅう)の宝積院(ほうしゃくいん)が建っています。本尊は薬師如来です。 以前(江戸時代)には、青蓮寺には宝績院と東福院という2つの塔頭がありました。その1つを再建したのが、現在の手広山 宝積院 薬王寺です。 |
青蓮寺 宝積院 | 青蓮寺 宝積院 | 青蓮寺 宝積院 | ||||
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<<青蓮寺 庭園>>
本堂に向かって左側に池や落水をともなった庭園が設けられています。 「江のし満道」の道標((江ノ島道)文化6年;1809)が建っています。古道江ノ島道はこの近くを通っていました。 |
青蓮寺 庭園 (本堂より眺める) | 青蓮寺 庭園 「江ノ島道」の道標 | 青蓮寺 庭園 | ||||
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<<奥院と奥院への参道 (裏山)>>
庭園の裏側に回ると、裏山へ上る道があります。これは奥院への参道で、弘法大師の護摩修行の霊場です。 上り口近くに、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石仏が草にうもれるように置かれていました。 参道を上ると、境内、本堂を上から眺めることができます。 参道の所々に、石仏がいくつも置かれています。 尾根に出て、右奥に進むと奥院があります。弘法大師像、石塔が置かれています。 |
青蓮寺 宝篋印塔、石仏 | 青蓮寺 奥院参道から本堂を見る | 青蓮寺 奥院参道 | ||||
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青蓮寺 奥院参道 | 青蓮寺 奥院参道 | 青蓮寺 奥院 | ||||
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<<境内の石仏・石塔について>>
境内には、多くの石仏・石塔が置かれています。 宝積院に向かって左側には、弘法大師修行僧像、その左側に愛染明王像、右側に不動明王像があり、さらに左方向山門までも多く石仏があります。 宝積院に向かって右側には、弘法大師供養塔、住職の像、聖徳太子像、六地蔵とあり、変わったところで五輪塔童子(密教の根本概念である宇宙の五大要素(地、水、火、風、空)、それらの象徴を塔にしたのが五輪塔、その5要素をそれぞれ象徴する五体の童子像。)が5体かわいらしい姿で置かれています。さらに右手墓地の前に、2童子(向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)像、左に制多迦童子(せいたかどうじ)像)を左右に従えた不動明王像など。多くあります。 |
石造弘法大師修行僧像 左に愛染明王像 | 石造不動明王像 | 石塔・石仏 | ||||
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十三重石塔と五輪塔(手前) | 五輪塔童子像 5体の内の1つ | 不動明王像と2童子 | ||||
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