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かつて粟船(あはふな;大船(おおふな)の古名)の地に土豪の甘糟(あまかす)氏が勢力をもっていました。現在のJR大船駅の南東1kmあまりのところに甘糟氏が勧請したという熊野神社とそれに隣接して甘糟氏が移してきたという多聞院(たもんいん)があります。
近くには、甘糟家(甘糟氏の末裔)の立派な長屋門があります。また長窪の切通があります。 |
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<< アプローチ >> |
(JR大船駅(東口)より) |
・JR大船駅東口から、およそ1.5km 徒歩30分ほど ・バス利用の場合は JR大船駅東口から、江ノ電バス「鎌倉駅東口」行、他、 にて 「常楽寺」バス停下車 徒歩5分 JR大船駅方面からは、「常楽寺」バス停付近まで来て、そこからからバス停のある道を南東方向に進み、主要地方道「21号横浜鎌倉線」を交差点「常楽寺」で横切ります。道は緩い上りさかになり、左カーブ、右カーブをして、そして直進になります。その先正面に、多聞院の門と堂宇が見えてきます。 なお、この道は多聞院門前で左急カーブをし、トンネルを抜け、岩瀬中の前を通り、今泉方面へ抜けます。 |
(JR北鎌倉駅より) |
・JR北鎌倉駅から、およそ1.2km 徒歩30分ほど (長窪の切通しを経由) JR北鎌倉駅からは、駅ホーム沿いの道(円覚寺側)を改札口から大船駅方面へ400mぼど進み分岐を右の狭い上り道へ入ります(※注 北鎌倉駅ホーム沿い円覚寺側の道は洞門崩落の危険から通行禁止になっています。主要地方道「21号横浜鎌倉線」へ迂回してください。)。坂の道は階段になり階段を上ると分岐の踊り場です。分岐で左手の階段を下りると高野台の団地です。なお分岐を直進し、さらに階段を上り進むと六石見山方面へ行くことができます。分岐から階段を下り団地内の道をそのまま直進し道なりに左に曲がると高野台自治会館が見えます。自治会館の前を右に折れ、広いバス道路(高野台、大船高校方面への道)を渡ります。樹木のしげった狭い道へ入ると長窪の切通しといわれる両側の崖が迫った道になります。切通しの道を下り抜けて50mほどでT字の分岐になります。ここを右手の道に入ります。なおこの分岐の角には木柱の標識があり、向かって右面に「至ル 長窪経由 六国見山」、左面に「至ル 高野経由 六国見山」とあります。この「長窪経由」のみちとは、今下りてきた長窪の切通しの道を指します。ここでこのT字を「高野経由」の道へ入ったわけですが、この道はわずか20mほどで十字路の分岐になります。右の上りさかの道は高野台へ至ります。直進の上りさかの道は大船高校付近から高野台へ至ります。ここでは左の下りさかの道へ入ります。40mほどで右手に立派な長屋門のある甘糟(あまかす)家邸宅が見えてきます。邸宅の敷地にそって左右と曲がり進むとその先で多聞院門前へ向かう道へ出ます。右手方向に多聞院の門と堂宇が見えます。 ※ 高野台から六石見山(ろっこくけんざん)への登山口があります。(2ヶ所) (付近の略地図は 大船から今泉方面 周辺 略地図 のページへ) |
天衛山 福寿寺 多聞院 (てんえいざん ふくじゅじ たもんいん) (真言宗) |
文明年間(1469 ー 87)、山ノ内瓜ヶ谷(うりがやつ)に観蓮寺が開かれたといいます。それを天正7年(1579)に現地(粟船(あはふな);大船の古名)に移し、多聞院と改めたといいます。その時の開基が甘糟(あまかす)氏と伝えられています。なお開山は南介僧都(なんかいそうず)と伝えられています。
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多聞院門前 | 熊野神社参道と鳥居 多聞院門前 | 石仏、石塔 多聞院門前 | ||||
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<<門前から境内・本堂へ>>
多聞院門前、道路と間は広場になっていて、門を正面にして左手には熊野神社の鳥居があり参道が山の上へのびています。右の傍らには庚申塔、石仏が数基並んでおいてあり、延宝などの年号の古いものもあります。 境内に入ると、すぐの左手に真新しい本堂が建ちます。本尊は木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像です。毘沙門天は多聞天(たもんてん)ともいいます。須弥山(しゅみせん)の四方向におかれ仏法を守護するとされる四天王(してんのう)のうちの一つで、北方の守護とされています。また七福神の神の一つにも加えられています。なお寺の名の多聞院は毘沙門天(多聞天)を祀ることに由来します。 他に、「岡野観音」と呼ばれる木造十一面観菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)坐像、牛頭天王(ごずてんのう)像、弘法大師(こうぼうだいし)像、聖観音(しょうかんのん)像、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像、薬師如来(やくしにょらい)像など安置しています。なおこの木造十一面観菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)坐像(「岡野観音」)は、由比の長者染屋太郎大夫時忠(そめやたろうだゆうときただ)が3歳で鷲にさらわれた愛娘の菩提を弔うために造り、のち運慶が造り直したといういい伝えがあります。 <<庫裡、前庭、不動堂>> 本堂に向かい右手に庫裡が続いて建っています。本堂、庫裡の前庭は石仏、石塔もあり草木の手入れもよくされています。前庭の右手には不動堂が建ちます。 |
多聞院本堂 | 本堂内 多聞院 | 前庭 多聞院 | ||||
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庫裡 多聞院 | 不動堂 多聞院 | 不動堂内 多聞院 | ||||
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<<墓地へ やぐら、石塔、石仏他>>
庫裡と不動堂の間を通り裏手に行くと墓地が広がります。すぐのところに六地蔵、地蔵像の石像や石塔が並んであります。左手の奥の山崖にいくつもの立派なやぐらあるのが見えます。やぐらの中や付近には古い石塔、石仏が並んで建っています。それらには元禄や享保などの年号を表す文字を見ることができます。 |
地蔵像、石塔 多聞院 | やぐら 多聞院境内 | やぐら 多聞院境内 | ||||
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熊野神社 (くまのじんじゃ) |
多聞院とそれに隣接して熊野神社があります。明治の神仏分離までは、多聞院は熊野神社の別当寺でした。
祭神 ー 日本武尊(やまとたけるのみこと) 勧請年月や由緒等は不詳ですが、ご神体の束帯姿の木像台座に、天正7年(1578)4月、甘糟太郎左衛門尉平長俊(あまかすたろうさえもんのじょうたいらのながとし)が勘定したとの銘文があるといいます。 |
熊野神社 参道、鳥居 | 熊野神社 参道 | 社殿 熊野神社 | ||||
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<<境内・社殿へ>>
多聞院門前より、左手の熊野神社の参道に入り社殿に向かいます。参道の奥の石段を上ると正面に社殿があります。左手にはまだ新しい神楽殿が建ちます。樹木に囲まれ境内には境内社(祠など)、石塔などが散在しています。 |
神楽殿 熊野神社 | 狛犬 熊野神社 | 狛犬 熊野神社 | ||||
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境内社、庚申塔 熊野神社 | 境内社 熊野神社 | 境内社、板石碑 熊野神社 | ||||
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甘糟(あまかす)家長屋門 と 甘糟(あまかす)氏 |
長窪の切通し |
近くに長窪の切通しといわれる道があります。歴史的な意義は不明で、おそらく生活道路として造られ利用されてきた道であろうと思われます。
特徴のある景観で一見の価値はあります。また多聞院からJR北鎌倉駅方面への行き来には利用することになりますので紹介します。 <<多聞院門前から、長窪の切通し、JR北鎌倉方面へ>> 多聞院門前から常楽寺方向へ50mほど戻ります。左におれ100mほど進むと左手に立派な長屋門のある邸宅が現れます。甘糟家の長屋門と邸宅です。邸宅の敷地にそって左右と曲がりその先へ進むと道は上り坂になります。長屋門から50mほどで十字路になります。直進すると高野台の団地へ行き着きます。左は大船高校の近くを通り高野台のバスロータリーに行き着きます。ここでは右の道に入ります。道は20mほどで突き当たりT字路になり分岐します。この分岐を左に曲がります。なおこの分岐の角には木柱の標識があり、向かって右面に「至ル 長窪経由 六国見山」、左面に「至ル 高野経由 六国見山」とあります。この「長窪経由」のみちとを辿ることになります。なお「高野経由」の道とは今歩いて来た道をさします。「長窪経由」の道へ入り上り坂の道を進むとすぐにY字に道が分岐します。その右側の狭く上りの急な方の道へはいります。その先で両側に樹木と崖が迫った切通された道になりそれが100mほど続きます。ここが長窪の切通しといわれるところです。切通しの道を上り抜けると広いバス道路にでます。バス道路は右は大船方面、左は高野台、大船高校方面です。バス道路を横切ると高野台自治会館があります。自治会館の前の道に入りすぐに左折します。道は右にカーブして、その先に上り階段の道が見えます。その階段を上ると分岐のある踊り場に出ます。JR北鎌倉駅方向へはその分岐を右手下り階段の道を進みます。なお、分岐で左手に階段をさらに上りさらに坂の道を進むと高野台の六国見山方面に行くことができます。分岐からの下り階段はすぐに先で終わり、その先の坂の道を下って行くとJR北鎌倉駅付近に至ります。 |
長窪の切通し | 長窪の切通し | 長窪の切通し | ||||
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長窪経由の道 多聞院がわ | 長窪経由の道 高野台がわ |
高野台自治会館前 | 高野台団地内から北鎌倉方面へ階段を上る | 北鎌倉へ | ||||
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