鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
      八雲神社   (鎌倉比企ヶ谷)      鎌倉      
   京都祇園社を勧請した古社、かつて祇園天王社・天王社とよばれた   
    
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   平安期末(永保年中)に、疫病が流行したおり、京都祇園社の祭神牛頭天王を勧請したのが始まりといいます。(永保:1081-1084)
 かつては、祇園天王社・天王社とよばれました。

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  << アプローチ >>    
      (JR鎌倉駅(東口)より)  
  ・   JR鎌倉駅(東口) 〜 小町大路 〜 夷堂橋(えびすどうばし)  ( およそ 300m )  
  ・   夷堂橋 〜 妙本寺総門  ( およそ 100m )  
  ・   妙本寺総門 〜 常栄寺(ぼたもち寺)  ( およそ 100m余 )  
  ・   常栄寺(ぼたもち寺) 〜 八雲神社  ( およそ 100m )  

 JR鎌倉駅東口から、若宮大路をわたり、本覚寺の境内をぬけ小町大路に出ます。小町大路は右手すぐに夷堂橋(えびすどうばし)があり滑川を渡ります。
 夷堂橋を渡ると正面に妙本寺の総門が見えます。小町大路からわかれ妙本寺の総門前まで着ます。総門に向かい右手に小路があります。その道を進みます。
 妙本寺の総門から100m余歩くと、左手に常栄寺(ぼたもち寺)の門が現れます。門柱には、大きく「ぼたもち寺」、その下に小さく「常栄寺」とかかれています。
 さらに100mほどすすむと左手に、八雲神社の鳥居が現れます。鳥居の奥に社殿が見えます。

    (付近の略図(地図)は  祇園山ハイキングコース  のページへ)
 



   八雲神社 (やぐもじんじゃ)               
       
八雲神社 画像 八雲神社 画像 八雲神社 画像  
八雲神社 参道へ 八雲神社 参道から本殿へ 八雲神社 略記  
 
     
<<祭神>>
  須佐之男命(すさのおのみこと)
  稲田比売命(いなだひめのみこと)
  八王子命(はちおうじのみこと)
  佐竹氏の霊

<<由緒>>
 平安期末の永保年中(永保:1081-1084)に、新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)が、京都祇園社(ぎおんしゃ)の祭神牛頭天王(ごずてんのう)を勧請したのが始まりといいます。
 新羅三郎義光は源義家(みなもとのよしいえ)の弟です。義光は、奥州征伐(前九年後三年の役)のおり兄義家を追って参陣したしましたが、その途中、鎌倉の悪疫払いのためこの地に祀ったといいます。
 新羅三郎義光の子孫は、後、佐竹氏を名乗りました。佐竹一族が住んだという佐竹屋敷が山を越えた現在の大宝寺のあたりにありました。応永年中(1394-1438)、その霊祠を合祀したといいます。
 かつては、祇園天王社とよばれましたが、明治の初、神仏分離のおり八雲神社と改称されました。
    
       
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八雲神社参道 本殿側から 八雲神社境内 天水盤(左) 八雲神社境内 天水盤(右)  
 
     
<<参道から境内へ>>
 石段を上り一つ目の鳥居から二つ目の鳥居へ参道を進みます。
 参道の左手には、寛文十年(1670)銘の庚申塔があります。四方唐破風笠付きの珍しいものです。
 二つ目の鳥居をくぐると、開けた境内になり、正面に社殿があります。現在の社殿は昭和五年再建です。それまでの社殿(安政二年(1855)建造)は関東大震災(1923)のおり崩壊しました。

<<天水盤>>
 本殿前の左右に大きな天水盤が2つ並んでいます。
 「現代の名工」といわれた鋳物師の鈴木文吾よって「惣型法」により鋳造された天水盤です。
 鈴木文吾は大正10年に生まれ、東京オリンピックの開催された東京国立競技場の聖火台を造りあげたことで知られています。

<<境内社 (玉守稲荷、冨塚天神、)>>
 本殿に向かって左手に境内社が並んでいます。
 諏訪神社 ーー (祭神)建御名方神(たけみなかたのかみ)
 稲荷社  ーー (祭神)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 於岩稲荷社 ーー (祭神)田宮於岩命(たみやおいわのみこと)

 その他、石廟が多数置かれています。
    
       
八雲神社 画像 八雲神社 画像 八雲神社 画像  
八雲神社 境内社・石廟 八雲神社 境内社 (←)境内社名 八雲神社  
 
     

<<新羅三郎 手玉石>>
 境内の大木の根元に丸い大きな石が二つ置かれています。わきに「新羅三郎 手玉石」と表記があります。

<<社務所>>
 本殿に向かって右手、一段低くなった所に社務所があります。「厄除開運」「交通安全」「家内安全」「合格祈願」「その他ご相談」に応じています。

<<宝物殿>>
 境内、社殿に向かって左手には宝物殿があります。窓越しに展示物を拝観できます。
 神輿四基は江戸時代の造成といいます。その他、彫刻品や昔の生活用品等、展示されています。
    
       
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八雲神社境内 「新羅三郎 手玉石」 八雲神社境内 宝物殿 八雲神社境内  
 
     

       
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八雲神社 宝物殿展示 八雲神社 宝物殿展示 八雲神社 宝物殿展示  
 
     

<<祇園山登山口>>
 本殿に向かって右手に「登山口」「祇園山ハイキングコース」と表示された案内板があります。この案内板に従い社殿わきの狭い道を進むと石段の上り坂になります。この道は八雲神社背後の祇園山山頂まで続いています。
 「祇園山」とは八雲神社がかつて「祇園天王社」と呼ばれていたことに因ります。
 祇園山山頂から北方向尾根伝いにハイキングコースが続いていて、妙本寺境内や東勝寺跡(高時腹切やぐら)まで歩くことができます。(祇園山ハイキングコース)

<<三峰神社・御嶽神社>>
 本殿の裏、祇園山への登山道わきに、三峰神社・御嶽神社があります。
    

       
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八雲神社 祇園山登山口 三峰神社・御嶽神社(八雲神社境内) 八雲神社 祇園山登山道  
 
     

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