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江戸期の戸塚宿(戸塚)は旧東海道に設けられた宿場町で、大いに賑わいました。
八坂神社は、戸塚、旧東海道沿いにある古社です。「お天王さま」とも呼ばれます。 奇祭といわれる「お札まき」が伝わる神社です。 |
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<< アプローチ >> |
JR戸塚駅 より 国道1号(旧東海道) を 藤沢方面へ 800mほど
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八坂神社 (やさかじんじゃ) |
八坂神社 国道(旧東海道)沿い | 八坂神社 国道沿い鳥居 | 八坂神社 本殿 | ||||
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<<祭神>> 素戔嗚尊 ( すさのおのみこと ) 奇稲田姫命 ( くしいなだひめのみこと ) <<例祭>> (7月7日 ー 7月14日) お札まき(おふだまき) 7月14日 <<お札まき(おふだまき)>> 八坂神社の元禄再興と共に行われるようになったといいます。 この踊りは、江戸時代中期には江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は旧東海道の戸塚宿にだけ残ります。 男たちが姉さんかぶりにたすきがけの女装をして、境内や町内を踊りながらお札をまき散らします。お札には「正一位八坂神社御守護」と刷られていて、厄除け、疫病よけのお守りです。これを拾い家の戸口や神棚に貼ります。 <<御由緒>> 元亀3年(1572年)、郷の庄司内田兵庫政親が牛頭天王社を勧請したのが始まりといいます。 その後、いつしか社殿は壊れ、御神体は草むらの中に散在し、やむなくこれを地中深く埋め祭祀を欠くこと数十年に及びました。内田氏の子孫、内田佐衛門蔚源政利がこれを憂い、元禄元年、矢部村庄司河原氏の霊夢により土壌を起こし、御神体を得て、その再興をはかり祭祀を行ったといいます。 明治初年、八坂社と改め、更に昭和7年、八坂神社と改称しました。 |
八坂神社 本殿と境内社 | 八坂神社 本殿 | 八坂神社境内 | ||||
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<<国道(旧東海道)から境内へ>>
国道(旧東海道)沿いに建てられた鳥居から境内に入ります、一段高くなった境内に入ると正面に本殿、その左側には境内社が並びます。 本殿に向かい右手前には石塔・石仏(庚申塔等)が並びます。その中に、「明治天皇東幸史蹟」の石柱も建っています。 国道沿い。鳥居わきには「水準点」がおかれています。 |
八坂神社 「お札まき」解説 | 八坂神社 由来解説 | 八坂神社 「明治天皇東幸史蹟」 | ||||
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八坂神社境内 石塔 | 八坂神社境内 石塔 | 八坂神社境内 水準点 | ||||
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