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日蓮(にちれん)の法難のおり、処刑されることになり龍口刑場(たつのくちけいじょう)に引かれていく日蓮上人に、この地に住む老尼がぼたもちを捧げたといいます。(文永8年(1271)
その後、この地に常栄寺(じょうえいじ)が創建され、「ぼたもち寺」と呼ばれました。 ![]() |
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<< アプローチ >> |
(JR鎌倉駅(東口)より) |
・ JR鎌倉駅(東口) 〜 小町大路 〜 夷堂橋(えびすどうばし) ( およそ 300m ) | |
・ 夷堂橋 〜 妙本寺総門 ( およそ 100m ) | |
・ 妙本寺総門 〜 常栄寺(ぼたもち寺) ( およそ 100m余 ) | |
JR鎌倉駅東口から、若宮大路をわたり、本覚寺の境内をぬけ小町大路に出ます。小町大路は右手すぐに夷堂橋(えびすどうばし)があり滑川を渡ります。 夷堂橋を渡ると正面に妙本寺の総門が見えます。小町大路からわかれ妙本寺の総門前まで着ます。総門に向かい右手に小路があります。その道を進みます。 妙本寺の総門から100m余歩くと、左手に常栄寺の門が現れます。門柱には、大きく「ぼたもち寺」、その下に小さく「常栄寺」とかかれています。 (付近の略図(地図)は 祇園山ハイキングコース のページへ) |
恵雲山 常栄寺 (えうんざん じょうえいじ) ・ (ぼたもち寺) (日蓮宗) |
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常栄寺(ぼたもち寺) | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 門にかけられた文 | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 本堂 | |
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かつて、源頼朝(みなもとのよりとも)がこの地の山上に由比ヶ浜を眺めるための桟敷(さじき)を設けたといいます。
鎌倉時代の中ごろ、この地に武士(和田一族の武士)の後家尼が住み、桟敷の尼と呼ばれました。日蓮(にちれん)の法難のおり、日蓮上人は幕府に捉えられ処刑されることになりました。文永8年(1271)9月12日、龍口刑場(たつのくちけいじょう)に引かれていく日蓮上人にこの尼がごまのぼたもちを捧げたといわれています。そして龍口刑場で日蓮上人が斬首されようとしたその時不思議な出来事がおこり、そのため日蓮上人は処刑を免れて佐渡流罪となりました。 日蓮の法難、龍口法難に関しては、 ( 龍口寺 日蓮の龍ノ口法難の地 のページへ) その後、天正年間(1571-91)に、この地「桟敷屋敷」は妙本寺に寄進されました。慶長11年(1606)、当時の妙本寺住職であった日詔(にっしょう)によって常栄寺が創建され、日蓮宗の学問所である宝篋堂壇林(ほうきょうどうだんりん)とされました。 その後、元禄2年(1689)に壇林は池上本門寺に移されました。その後、紀州徳川家の家臣の水野淡路守重良の娘日祐法尼(にちゆうほうに)が寺を復活しました。 「常栄寺」は、桟敷の尼の法名「妙常日栄」からとられた名称です。また俗に「ぼたもち寺」と呼ばれています。 開山は日詔、開基は日祐法尼です。 9月12日(尼が日蓮上人にぼたもちを捧げた日時)、寺では、尼が作ったとされる胡麻をまぶしたぼたもちがふるまわれ賑わいます。このぼたもちは厄除の「頸つなぎのぼたもち」といわれています。 ![]() |
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常栄寺(ぼたもち寺) | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 拝観受付・庫裏 | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 解説板 | |
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常栄寺(ぼたもち寺) 板碑 | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 多重石塔 |
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<<境内へ>>
道から石段を数段上ったところに門があり、そこから境内へ入ります。 門は冠木門(かぶきもん)に屋根をつけた構造になっています。右手の門柱に「ぼたもち寺」と大きく記され、その下に小さく「常栄寺」と記されています。冠木には「これやこの 法難の 祖師に はぎのもち ささげしあまが すみにしところ」との文がかけられています。 右の門扉には家紋「笹竜胆」(源氏の家紋)が、左の門扉には家紋「橘」(日蓮宗の寺紋「井桁に橘・日蓮宗橘」は、開祖の日蓮が井伊氏一族(家紋は「橘」)の出身であることに由来します)が飾られています。 せまくこじんまりとした境内は、樹木であふれています。正面に本堂があります。右手に拝観受付、庫裏があり、その前に、常栄寺の解説、板碑、多重石塔が並んであります。左手には、桟敷の尼夫婦の墓と伝えられる五輪塔があり、その右に日祐法尼の墓と伝えられる石塔が並んであります。 門前の道路から門の右手、境内内を見上げるとそこにも石塔が並んであります。 ![]() |
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常栄寺(ぼたもち寺) 桟敷の尼夫妻の墓 | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 日祐法尼の墓 | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 境内社 | |
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常栄寺(ぼたもち寺) 門前道路から見上げる石塔 | ![]() |
常栄寺(ぼたもち寺) 門前道路から見上げる石塔 |
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門扉に飾られた家紋「橘」 | ![]() |
門扉に飾られた家紋「笹竜胆」 |
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