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横浜市泉区の岡津橋付近には,江戸期ころからの歴史的な文化財が,比較的狭い場所にいくつも点在しています。 さんぽがてら訪ねてみてはいかがでしょう。 ところで,ここに歴史的な文化財がいくつもある理由ですが,以下のようです。 すぐそばの岡津に江戸時代の代官屋敷(徳川家康につかえ、町奉行を努めたこともある代官頭 彦坂小刑部元正(ひこさかおぎょうぶもとまさ)の陣屋跡といわれている)がありました。 東海道の,柏尾で分岐した 柏尾通り大山道 (かしお どおりおおやまみち) と 観音霊場めぐり坂東33ヶ所 の順礼の道(第14番札所の横浜の 弘明寺観音 (ぐみょうじかんのん:弘明寺) と,第8番札所の座間の 星のや観音 (ほしのやかんのん:星谷寺(しょうこくじ))を結ぶ道)がここを通っていました。2つの道はちょうどこの地で分岐していま した。またこれらの道は, 鎌倉郡33ヶ所札所めぐり の道と重なっている部分もありました 。 江戸時代のころは,ずいぶん多くの人がここを通ったと思われます。 <<関連するページ>> (柏尾通り大山道に関して ーー> 柏尾通り大山道 ) (ほしのや道に関して ーー> ほしのや道 と 大石堂道 に沿って ) |
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横浜市 泉区 岡津橋 付近 |
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向導寺(こうどうじ) 浄土宗 |
岡津橋バス停近くの不動橋のある辺りから,県道(瀬谷柏尾線)の向かい側の山の中に入る狭い道をたどります。 交通量の多い県道から,わずか数十メートルほど入るだけで,人通りも少なく,静かな山の中のような雰囲気になります。 ここに,徹底山本覚院向導寺(てっていさんほんがくいんこうどうじ)があります。比較的小さな,寂れた感じのお寺です。開山は善蓮社知誉上人といわれています。上人が亡くなられたのは天正10年(1589)4月といわれてるので、寺の創建はそれ以前と思われます。 旧本尊の 木造 阿弥陀如来坐像 は,横浜市指定有形文化財になっています。像高 81.2センチメートルの坐像は,仏師 定朝(?--1057年)の作風とのことです。 隣接した岡の上に琴平神社と不動堂が,その背後に富士塚が在ります。 |
向導寺本堂 | 向導寺山門 | 六地蔵 向導寺門前 | ||||
※ 本堂はその後建て替えられました |
富士塚,不動堂,琴平神社 |
岡津橋バス停近くの不動橋のある辺りから,県道(瀬谷柏尾線)の向かい側の山の中に入る狭い道をたどります。 すぐのところに,長い石段があります。 上った岡の上に, 琴平 神社 と 不動堂 があります。 その後ろには,形の整った 富士塚 があり, その山上にはいくつも石塔(富士講碑四基)があります。 富士塚は、富士講の人々が富士山の遥拝所としてまた信仰の対象として富士山をかたどった人工の山です。 富士山への信仰は江戸時代の初め、富士山を神格化し国の平安と衆生の安心を祈願することが元になり行われるようになったと考えられます。 |
琴平神社 | 琴平神社 | 琴平神社 富士塚 | ||||
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<< 富士塚にある石塔(富士講碑) >> |
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山頂部
> 高さ-およそ145センチメートル, 表に「天下泰平萬〜」とあり,裏に「天神地裕八百万神」とあります。石材の表面がかなり崩れて,読めない部分 がかなりあります。 < 山腹 東側 > 高さ-およそ72センチメートル, 「祖師聖人百日行」とあります。 < 山腹 中央 > 高さ-およそ73センチメートル, 「食行身禄杓(*)」とあります。(* 正しくは「人へんに杓」、富士講で用いられた異文字) 食行身禄とは名を伊藤伊兵衛といい、伊勢一志郡の出身で、十七歳で富士信仰に入り毎年富士に登拝して信仰を深め激しい修行をつみ、行者として熱心に布教活動を行った人物です。 < 山腹 西側 > 高さ-およそ80センチメートル, 「法華石経塔」とあります。 |
富士塚 | 石塔 富士塚山頂部 | 石塔 富士塚山頂部 | ||||
山上に石塔(富士講碑)が並ぶ |
正面より | 横方向より |
石塔 富士塚山腹東側 | 石塔 富士塚山腹中央 | 石塔 富士塚山腹西側 | ||||
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岡津橋脇 双体道祖神 |
永明寺別院,大山道道標,不動内 浄土宗 |
県道(瀬谷柏尾線)から不動橋を渡る
と, 岡津山永明寺(こうしんざんようめいじ)別院
があります。
門前に 不動内 を乗せた 大山道道標 があります。横にあるのは, 出羽三 山供養塔 です。 出羽三山供養塔 -- 高さ-およそ110センチメートル 大山道道標 -- 高さ(不動内を含まないで)およそ120センチメートル,不動内部分 高さ-およそ85センチメートル 道標 右側に「右 ほしのや道」とあり。 |
永明寺別院 | 道標 永明寺別院前 | 不動内 永明寺別院前 | ||||
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永明寺 ( ようめいじ ) 曹洞宗 |
永明寺別院の門前を過ぎ、道をわずかに上ると岡津山永明寺(こうしんざんようめいじ)があります。
曹洞宗大本山総持寺の孫末寺で、本尊の聖観音菩薩木立像を安置しています。 天文十一年(1542),岡津郷領主の太田越前守入道宗真(そうしん)によって創建されたと言われています。入道宗真は太田道灌(おおたどうかん)の孫にあたる人物で、祖父道灌の菩提を供養するために勧請創建したといいます、太田道灌は永明寺の開創の祖とされています。 大正十二年(1923)、関東大震災のおり、裏山と堂宇が崩壊し、現在の別院がある場所に移転しました。その後、旧跡地山上(現在地)に本堂やその他の伽藍が建てられ、平成四年に落成しました。震災後に移転された地は別院となりました。 |
永明寺 | 永明寺 解説 |
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