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鎌倉を囲む峰々を伝い歩く天園ハイキングコースは展望もよく、所々にやぐらや石仏・石塔などの歴史的史跡もあり、鎌倉にあるハイキングコースの中でも特に人気があります。
天園ハイキングコースのメインの部分で多くのハイカーに歩かれているのは、<<建長寺半僧坊〜勝上けん〜十王岩〜 覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)分岐〜鷲峰山〜大平山〜天園峠(六石峠)〜貝吹地蔵(天台山付近)〜胡桃山付近〜瑞泉寺境内>>の部分です。 ここではその中の<<覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐〜鷲峰山〜大平山〜天園(六石峠)〜貝吹地蔵(天台山付近)〜胡桃山付近〜瑞泉寺境内 および 十二所 >>の部分の紹介をします。 |
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<< アプローチ と 行程 >> |
<覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐まで>
「覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐」は天園ハイキングコースの中程にあり、4方向への分岐になっています。 (1)建長寺方面への道、 (2)建長寺方面から見て右手、覚園寺のある薬師ヶ谷へ下りる道、 (3)建長寺方面から来てそれに直進する、瑞泉寺・天園方面への道、 (4)建長寺方面から見て左手、今泉住宅(今泉台6丁目入口)へ下る道です。 ここでは、ここから(3)の瑞泉寺・天園方面への道をたどりますので、他の(1)、(2)、(4)のどれかの道をたどりこの地点まで来ることになります。 (1)建長寺方面への道に関しては、 天園ハイキングコース (建長寺半僧坊 から 覚園寺・今泉住宅分岐まで) のページへ (2)覚園寺のある薬師ヶ谷へ下りる道に関しては、 天園ハイキングコース (薬師ヶ谷 より 覚園寺・今泉住宅分岐まで) のページへ (4)今泉住宅(今泉台6丁目入口)へ下る道に関しては、 下記の 「今泉台6丁目公園(今泉台6丁目入口)付近 について」 へ <行程> 覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐〜(およそ100m)〜鷲峰山〜(およそ1000m)〜大平山〜(およそ400m)〜天園峠(六石峠)〜(およそ600m)〜貝吹地蔵(天台山付近)〜(およそ400m)〜十二所への分岐(胡桃山付近)〜(およそ700m)〜十二所 {<瑞泉寺境内 へ> :十二所への分岐(胡桃山付近)〜(およそ20m)〜明王院への分岐〜(およそ300m)〜 瑞泉寺境内} (付近の略地図は 天園ハイキングコース と 周辺 略地図 のページへ) |
天園(てんえん)ハイキングコース (覚園寺・今泉住宅への分岐 から 瑞泉寺境内 および 十二所 まで) |
覚園寺・今泉住宅への分岐 |
今泉台6丁目公園 覚園寺・今泉住宅への分岐付近から見下ろす |
今泉台6丁目公園内 今泉台6丁目入口 |
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<< 覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐 付近>>
天園ハイキングコースの主な部分は鎌倉を囲む峰々を尾根伝いに歩くあたりです。「覚園寺・今泉住宅への分岐」はそんな峰々の十王岩(じゅうおういわ)と鷲峰山(じゅぶせん:127m:(国土地理院地図による))の間の尾根の鞍部にあります。いくぶん開けていて、4方向への分岐になっています。それぞれは (1)建長寺方面への道、 (2)建長寺方面から見て右手、覚園寺のある薬師ヶ谷へ下りる道、 (3)建長寺方面から来てそれに直進する、瑞泉寺・天園方面への道、 (4)建長寺方面から見て左手、今泉住宅(今泉台6丁目入口)へ下る道 です。 << 今泉台6丁目公園(今泉台6丁目入口)付近 について>> 今泉台6丁目公園内に「天園ハイキングコース」とかかれた案内板があります。ここが天園ハイキングコースの「今泉台6丁目入口」です。ここから「覚園寺・今泉住宅への分岐」までは階段の道わずか50mほどの上りです。 公園までは自動車で来ることもできますが駐車場所はありません。 また、住宅内にはJR大船駅より「鎌倉湖畔循環」というバス路線があり、最寄りのバス停は「半僧坊下」で当公園から200mほどのところです。「半僧坊下」バス停はJR大船駅から所要時間20分ほどです。 また、散在ガ池森林公園(鎌倉湖)の南口へは300mほど、天園ハイキングコースの今泉台4丁目入口までは600mほど、六国見山登山口までは1000mほどです。それぞれと組み合わせて歩いてみるのもよいでしょう。 なお天園ハイキングコースの「今泉台4丁目入口」は、ハイキングコースの建長寺と明月谷の中ほどにある入口です。 <<覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐 から 鷲峰山(じゅぶせん:標高127m:(国土地理院地図による))まで>> 鷲峰山(じゅぶせん)という山ですが、鷲峰山(じゅぶせん)は覚園寺(かくおんじ)の山号でもあり、古くは、覚園寺の後方の十王岩付近の山を指しており、その山頂は弘法大師像のあるあたりでした。現在の地図にある鷲峰山(じゅぶせん:(国土地理院地図による)とは違う場所を示していました。 分岐から瑞泉寺・天園方面への道を進み鷲峰山(国土地理院地図による)へ急で岩肌の出た道を上っていきます。右側は谷に向かって傾斜しています。この傾斜をわずかに下ったあたりに「百八やぐら」と呼ばれるやぐら群があります。この場所からは見ることができません。 百八やぐらへは、先ほどの「覚園寺・今泉住宅(今泉台6丁目入口)への分岐」から「薬師ヶ谷 覚園寺」方面へ少し下ったところから行くことができます。詳しくは (「天園ハイキングコース (薬師ヶ谷 より 覚園寺・今泉住宅分岐まで) 」 のページへ) 鷲峰山(じゅぶせん:(国土地理院地図による))山頂付近で道は山頂の右がわ(南側)を巻くようにし先へつづきます。山頂へは木々の間に分け入り行くことができますが木々に被われ眺望はありません。 |
覚園寺・今泉住宅への分岐 から 鷲峰山へ | 鷲峰山 山頂付近 | 鷲峰山 山頂 | ||||
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<<大平山(おおひらやま:たいへいざん(標高159.2m)へ>>
大平山(「おおひらやま」、「たいへいざん」ともいいます)へ、樹木のしげった眺望のない道を上り下りを繰り返し進みます。大平山山頂へ出ると、急に視界が開けます。行く手は開けた露岩の出た斜面が下方に続いていてその先は開けた平地(ひらち)になっています。道はその斜面を下り、平地の中を進んでいます。 大平山山頂は鎌倉市の最高地点で標高159.2mです。眺望はよく、北東側は間近までゴルフ場で、すぐ下にクラブハウスが建ちます。その向こうには横浜の市街地まで見渡せます。南西方向には三浦半島の山々の連なり、南から西方向にかけては鎌倉の市街地とそれを囲む山並から相模湾まで望めます。 |
大平山 山頂 | 大平山 山頂 | 大平山山頂を見上げる | ||||
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大平山直下の平地(ひらち) | ゴルフ場内への道との分岐 大平山付近 | |||||
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<<大平山から六石峠(天園)へ>>
大平山山頂から露岩の斜面を下り、開けた平地(ひらち)の中の道を進みます。左手はゴルフ場の敷地です。 平地(ひらち)を過ぎると、分岐になり左からゴルフ場内からの道が合わさります。なおも進むと緩やかな上り道になり、その先左手に「天園峠の茶屋」が建ちます。道はここから下り坂になります。 <<天園峠の茶屋と「横浜市内最高地点」>> 天園峠の茶屋は、売店、自動販売機が設置された休息所です。その前隅には「横浜市内最高地点」と書かれた案内板が設置されています。その地点とは案内板の右後方、茶屋の建物の裏手私有地内にあり海抜159.4mとのことです。その地点は大平山の尾根沿いと位置づけられているので、横浜市内の最高峰と最高地点は異なっています。なお横浜市の最高峰は金沢区にある大丸山(標高156.8m)とされています。また資料によってはこの辺(天園周辺)を大丸山と呼ぶこともあるようです。 <<六国峠 と 天園休憩所>> 天園峠の茶屋から下り道をわずかに進むと左手下方に天園休憩所が見えます。そこに向かう道が分岐しますが、そのまま進みます。天園休憩所にも売店、自動販売機が設置されています。右手に眺めのよい高台がありますので上ってみます。六国峠の山頂といわれているところです(標高157.7m)。天園とは六国峠とその周辺を合わせたあたりをいいます。六国峠からはかつては相模・伊豆・武蔵・安房・下総・上総の六国が見渡せたといいますが、現在は北から東側は樹木に被われ眺望がありません。 |
六国峠から大平山へ向かう | 天園峠の茶屋 | 「横浜市内最高地点」の案内板 | ||||
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天園休憩所 ハイキングコースから見下ろす | 六国峠山頂からの眺望 | |||||
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<<「瑞泉寺経由鎌倉宮」方面 「獅子舞経由鎌倉宮」方面 への分岐 へ>>
六国峠からの岩場の道を下ると平らな場所に出ます。ここで道は四方向に分岐します。 下りてきた道は「六国峠(天園)・大平山」方面、 進行方向に直進する道は「瑞泉寺経由鎌倉宮」方面、 右手の谷に下りていく道は「獅子舞経由鎌倉宮」方面、 左手の竹林の中へいく道は、すぐ先で分岐していて、それぞれ「六国峠(天園)・大平山」方面と「金沢自然公園・上郷森の家」方面、(なおこちらの道から天園休憩所に入ることもできます) と、それぞれの方向へ向かっています。 |
四方向への分岐 案内標識 | 直進する道「瑞泉寺経由鎌倉宮」方面へ |
「六国峠(天園)・大平山」方面・ 「金沢自然公園・上郷森の家」方面へ |
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<<天台山周辺へ 貝吹地蔵(かいぶきじぞう) 他>>
ハイキングコースを瑞泉寺方向へ進みます。起伏の少ない樹木の中の道をしばらく進み、さらに道は天台山の山腹を巻くように続きます。天台山の山頂は右手になります。道はその先で右に曲がったかと思うといきなり急な岩場の下り坂になります。下り始めると左手の岩棚に石地蔵が座しているのが見えます。これが「貝吹地蔵」です。傍らには「貝吹地蔵」と彫られた石標も建っています。 急坂を下りきると道は沢のようなところから右手の平坦な山腹を行くようになります。この左の谷に向かう踏みあとがあります。ハイキングコースから外れそれをたどり10分ぐらい下ると、「お塔やぐら」といわれるやぐらがありますが、案内標識もなく道も不明瞭です。 ハイキングコースを胡桃山に向かい進むと、左手に所々やぐらが点在してあります。さらに進むと、道沿い右に金網の柵が現れます。この柵の向こうは瑞泉寺の境内です。この辺で左側に谷に向かう踏みあとあります。それをたどり30mほど下ると「北条首やぐら」とよばれるやぐら群があります。案内標識もなく道も不明瞭です。 ハイキングコースは胡桃山の右手を巻き続きます。 <<貝吹地蔵(かいぶきじぞう)>> 天台山の山腹天園ハイキングコースの道沿いの岩棚に「貝吹地蔵」といわれる石地蔵が置かれています。傍らには「貝吹地蔵」と彫られた石標も建っています。 鎌倉幕府滅亡のとき(元弘3年(1333))、新田義貞(にったよしさだ)の軍に攻められ、幕府執権北条高時(たかとき)以下一族は東勝寺で自刃し果てました。その折、高時の首を持ち去り新田軍から逃れた家臣がおりました。そして埋葬の地を探し道に迷いさまよっていたところ、一体の地蔵が現れ法螺貝(ほらがい)を吹きながら逃げ道を導いてくれたので無事埋葬することができたといいます。そして埋葬した場所が「北条首やぐら」であるといいます。 そのお礼供養のため祀ったのがこの「貝吹地蔵」であるといいます。 <<お塔やぐら>> 天台山の山腹天園ハイキングコースの「貝吹地蔵」前の急坂を下りきった辺りで、谷に下りる踏み跡をたどります。下り始めて10分ほどかなり下った谷間の左側岩壁に3つやぐらが並んであります。中央のやぐらが「お塔やぐら」といわれているやぐらです。そしてこの辺は「お塔の窪」と呼ばれています。踏み跡は不明瞭で荒れています。案内標識等もありません。 お塔やぐら内には、宝篋印塔(ほうきょういいんとう)が並んであります。中央の籾塔(もみとう)様式の五輪塔は鎌倉最古の物の一つといわれています。 <<北条首やぐら>> 胡桃山付近、天園ハイキングコースから北側の谷へ30mほど下ったところに「北条首やぐら」といわれるやぐら群があります。「北条御一門御廟所」といいます。 鎌倉幕府滅亡のとき(元弘3年(1333))、新田義貞(にったよしさだ)の軍に攻められ、幕府執権北条高時(たかとき)以下一族は東勝寺で自刃し果てました。その折、高時の首を持ち去り新田軍から逃れた家臣がおりました。そして埋葬の地を探し道に迷いさまよっていたところ、一体の地蔵が現れ法螺貝(ほらがい)を吹きながら逃げ道を導いてくれたので無事に埋葬することができたといいます。その埋葬したところがこの地であるといいます。 |
貝吹地蔵 天園ハイキングコース | 天園ハイキングコース沿いに散在するやぐら | |||||
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<<十二所(じゅうにそ)方面への分岐 、 「瑞泉寺」と「明王院・浄明寺・報国寺」方面への分岐>>
ハイキングコースを瑞泉寺方向へ進みます。胡桃山西側を巻きその先で左手の谷に向かって下りていく道が分岐します。これが十二所へ向かう道です。分岐には案内標識があります。向かって左方向(来た方)に「天園 約1.3Km」「建長寺(半僧坊)約3.5Km」「覚園寺 約3.7Km」、 向かって右方向に「瑞泉寺 約0.4Km」とあります。下りて行く道(十二所方向)方向の案内表示はありません。しかし、その支柱右側に小さな紙片が画鋲で止めてあり、そこに「朝比奈峠 約2Km」「十二所神社 約1Km」とあり、この分岐した道が十二所方向方面への道であることがわかります。 十二所方面にはこの分岐した道を下りて行くのですが、その前にもう少し20mほど瑞泉寺方向進みましょう。そこも分岐になっていて、T字に右方向に「瑞泉寺」、左方向に「明王院・浄明寺・報国寺」となっています。新しい案内表示には左方向の表示がありませんが、傍らに倒れかけた古い案内表示が残されていて、それには来た方向と合わせて3方向の行き先が示されています。 この場所は視界もよく休息に適しています。 <<瑞泉寺へ>> 「「瑞泉寺」と「明王院・浄明寺・報国寺」方面への分岐」を標識どおりに右に折れ、瑞泉寺に向かいます。途中1ヶ所分岐がありますが、そこも標識どおり右に折れ下ると瑞泉寺の境内に至ります。 |
十二所へ下る道分岐 天園ハイキングコース | 案内標識に貼られた「十二所」方面を示す表示 | |||||
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「瑞泉寺」と「明王院・浄明寺・報国寺」方面への分岐 | 「瑞泉寺」と「明王院・浄明寺・報国寺」方面への分岐 | 「瑞泉寺」と「明王院・浄明寺・報国寺」方面への分岐 | ||||
瑞泉寺方面へ向かう | 案内標識 | 古い案内標識 |
<<十二所(じゅうにそ)へ>>
先ほどの「十二所(じゅうにそ)への分岐」まで戻ります。案内標識わきから分岐している谷へ下りる道をたどります。樹林の中、下草のしげった急で細い道を下ります。谷に下りると道は傾斜が緩くなり沢沿いを行くようになります。所々ぬかっていて歩きにくく足元に注意しましょう。やがて左手に人家が現れます。人家と右側の山の斜面との間の狭い道を進むと住宅地の舗装された道路に出ます。この場所が天園ハイキングコースの入口ということになるのですが、標識も目立った目印もありません。逆から来られた場合は見過ごしてしまうかもしれません。ここを右手に進むとおよそ300mほどで十二所付近の金沢街道にでます。そこから左に50mほどで「十二所神社バス停」あります。 バス停から50mほどのところに十二所神社(じゅうにそじんじゃ)がありますので、訪れるとよいでしょう。 (逆方向からの場合)(十二所から天園ハイキングコースに行く場合) このコースを逆方向からたどる場合、つまり十二所から天園ハイキングコースに入る場合、その入口が分かりにくいので説明をしておきます。 金沢街道にあるバス停、「十二所神社バス停」からですと、まず金沢街道を鎌倉方面へ50mほど進みます。そこで右手から滑川に支流が合流しています。そこで右手のその支流沿いの道へ入ります。そこから100mほどで御坊橋という橋を渡ります。道は右岸(上流から見て右側の岸)へうつりそこからさらに200mほど道なりに進みます。そこの左手に人家があります。その左手、人家の駐車場と山の斜面の間の狭い道に入ります。ここがハイキングコースの山道の入口になります。なおこの場所には標識も目立った目印もありません。注意していないと見過ごしてしまうでしょう。下の写真を参考にして見逃さないようにしてください。 |
十二所へ向かう 分岐から谷へ下りる | 十二所へ向かう 沢沿いの道 | 十二所から 天園ハイキングコースへの入り口 | ||||
<<十二所神社(じゅうにそじんじゃ)>>
もとは光触寺(こうそくじ)の境内にあった熊野権現社(熊野十二所権現)が移されてきたものといわれています。 光触寺は岩蔵山光触寺(がんぞうざんこうそくじ)といい、創建は弘安2年(1279)といいます。開山は一遍(いっぺん)上人です{一説には、開基は一遍で、開山は作阿(さくあ:一遍に帰依し時宗とした)となっています}。一遍や時宗と熊野権現の関係は深く、そのため光触寺の創建にあたり熊野権現社が勧請されたと考えられます。熊野権現社(熊野十二所権現)は村の鎮守となり、この地の地名も十二所になったといいます。 熊野権現社(現 十二所神社)の創建は弘安元年(1278)と伝えられています。天保九年(1838)、現在の地に移されました。明治の神仏分離により社名が「十二所神社」となりました。 なお、熊野では、本宮・新宮・那智の三山が祀られ熊野三所権現といわれます。平安末頃、それに王子・眷属神九社が加えられ熊野十二所権現と呼ばれるようにもなりました。 |
十二所神社 | 十二所神社 社殿 | うさぎの彫刻 十二所神社社殿 | ||||
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